サンドロ・ボッティチェッリ ピサ滞在時代

サンドロ・ボッティチェッリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/19 12:47 UTC 版)

ピサ滞在時代

1474年、ボッティチェッリはカンポサント(共同墓地)(it)をフレスコ画で装飾するため、ピサに招聘された。彼の力量を見るため、祭壇画として《聖母被昇天》を描かされたが、結局カンポサントの装飾を委嘱されるには至らなかった。理由は定かではない。

1490年代以降

1490年代に入り、預言者サヴォナローラがフィレンツェに蔓延していた古代の異教的文化および享楽的生活を否定し、キリスト教の信仰に立ち返るように訴えた。ボッティチェッリはサヴォナローラから深い宗教的影響を受け、甘美な聖母子像や神話的作品は描かなくなった。代わりに、『キリストの哀悼』、『オリーブ園の祈り』、『神秘の降誕』などキリストの受難や救済をテーマとする謹厳かつ敬虔な作品が描かれたが[3]、主題のみならず様式的にも中世ゴシック絵画の伝統に回帰するかのようにそれまでの合理的な遠近法は往々にして破棄されている[4]

代表作

プリマヴェーラ』と『ヴィーナス(ウェヌス)の誕生』の作者として著名である。異教的、官能的なテーマの絵画であり、フィレンツェ・ルネサンスの最盛期を告げるものである。

『プリマヴェーラ』は、近年の修復の結果、オリジナルの華麗な色彩がよみがえり、従来、煤(すす)に覆われてはっきり見えなかった多くの草花が、ヴィーナス(ウェヌス)の立つ地面に描き込まれているのが見えるようになった。研究者によると、これらの草花のほとんどは、今でもトスカーナ地方に自生しているという。

プリマヴェーラ』(1477年 - 1478年頃、ウフィツィ美術館)
ヴィーナスの誕生』(1485年頃、ウフィツィ美術館)

ギャラリー

他に

など多数。


  1. ^ ボティチェリ』 - コトバンク
  2. ^ 中野京子『名画の謎 中野京子と読み解く ギリシャ神話篇』文藝春秋、2011年、36頁。ISBN 978-4-16-373850-5 
  3. ^ a b フィレンツェ・ルネサンス4 再生への挑戦、日本放送出版、1991年刊行、66頁 ISBN 4-14-008762-5
  4. ^ ボッティチェッリ展、朝日新聞社、2016年刊行、162頁
  5. ^ プラド美術館ガイドブック、2009年刊行、224頁 ISBN 978-84-8480-189-4






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