ウィンチェスターM1912
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/01 13:28 UTC 版)
この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注によって参照されておらず、情報源が不明瞭です。脚注を導入して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2012年9月)
|
1948年製のM1912
|
|
ウィンチェスター Model 1912 | |
---|---|
種類 | 散弾銃 |
製造国 | アメリカ合衆国 |
設計・製造 | ジョン・ブローニング トーマス・C・ジョンソン ウィンチェスター・リピーティングアームズ社 |
年代 | 20世紀初頭 |
仕様 | |
口径 | 12・16・20・28ゲージ |
装弾数 | 5+1発 |
作動方式 | ポンプアクション |
歴史 | |
設計年 | 1912年 |
製造期間 | 1912年–1963年 |
配備先 | アメリカ陸軍・アメリカ海軍・アメリカ海兵隊 |
関連戦争・紛争 | 第一次世界大戦・第二次世界大戦・朝鮮戦争・ベトナム戦争 |
製造数 | およそ200万丁 |
概要
M1912(1919年以降はM12に改称)は、ハンマー外装式散弾銃のM1897に次ぐウィンチェスター社の新型散弾銃であり、より以前に設計されていたM1893散弾銃を発展させたものである。M12の設計を手がけたのはウィンチェスター社のトーマス・C・ジョンソン技師であり、また、ジョン・ブローニングによるM1893/97の設計も一部取り入れられている。最初に発表されたのは20ゲージ型のみで、12ゲージおよび16ゲージ型は1914年に発表された。M12は、初めて成功したハンマー内蔵式ポンプアクション散弾銃である。装填はチューブ型弾倉から行われ、薬莢は右側に排出される。チューブ型弾倉は2・3/4インチ弾の12ゲージ弾を標準で6発装填可能で、木製プラグによって2-4発まで変更することが可能である。各部品は鍛造と機械成型で製造されており、1963年に生産が中止された理由の1つは、こうした製造方法のために他社製品に比べてあまりに高価だったからである。主要なライバルは、1950年に発表されたレミントン社のモデル870で、これは、M12よりもはるかに安価な散弾銃であった。1930年代以降、M12の装弾は2・3/4インチ弾に統一され、従来のM12と特に区別する必要がある場合はヘビー・ダックガン(Heavy Duck Gun)と呼ばれる。初期のM12が使用する装弾は、16ゲージ型は2・9/16インチ、12ゲージ型は2・5/8インチ、20ゲージ弾は2・1/2インチと統一されていなかったのである。また、これら初期型のM12は2・3/3インチ型に改造されているものが多い。
愛好家向けの記念品などとして少数生産された例はあるものの、1963年以降にまとまった数の生産が行われる事は無かった。2006年1月には最後のM12工場が閉鎖され、M12は95年間にもわたる歴史の幕を閉じた。
軍用散弾銃として
1963年に生産が中止されるまで、M12は第一次世界大戦-ベトナム戦争初期までアメリカ軍の制式散弾銃として使用され続けた。第二次世界大戦中には陸海および海兵隊をあわせ、全軍でおよそ80,000丁が購入され、太平洋戦線で特に広く使用された。遮熱板と着剣装置を除去したライオットガン型のM12は、航空軍の飛行場を防護する陸軍部隊によって購入されている。また、同様のモデルは海軍でも港湾警備用に購入している。海兵隊では太平洋のジャングルで日本軍と戦うためにトレンチガン型のM12を使用した。トレンチガン型は第一次大戦で採用されたものとほぼ同様であったが、遮熱板の穴が6列から4列に減らされていた。
なお、前作のM1897と同様に、トリガーを引いたままハンドグリップをコッキングすることによっての連続射撃(スラムファイア)が可能である。
|
- 1 ウィンチェスターM1912とは
- 2 ウィンチェスターM1912の概要
- 3 「完璧な連発銃」
- 4 参考文献
- ウィンチェスターM1912のページへのリンク