THE BREAKERS
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THE BREAKERS(ザ・ブレイカーズ)は、日本のロック・バンド。1978年に結成、1985年に解散。
メンバー
- 真島昌利(ましま まさとし、1962年2月20日 - ) - ギター・ボーカル
- 現ザ・クロマニヨンズ(元THE BLUE HEARTS、THE HIGH-LOWS)。
- 通称「マッシー」(現在は「マーシー」)。
- 杉浦光治(すぎうら こうじ) - ギター・ボーカル
- 結成当初からのメンバーだが、1984年2月に脱退。
- 解散後、メンバーはほとんど彼に会っていないらしい。通称「オッちゃん」。
- 篠原太郎 (しのはら たろう、1963年2月25日 - ) - ベース・ボーカル
- 現THE BRICK'S TONE、ピノキオズ。通称「タロウ」、「タロサ」。
- 大槻敏彦 (おおつき としひこ、1962年7月10日 - ) - ドラム・ボーカル
- 現THE BRICK'S TONE、ピアノトリオ。通称「ヒコ」。
その他のメンバー
- 石井アキラ(いしい あきら) - ギター
- 元ピカピカ。杉浦脱退後にサポートメンバーとして参加。
- 1985年ラストライブにも参加している。
- 八木橋カンペー(やぎはし かんぺー) - キーボード
- 1986年から解散まで、チェッカーズのサポートメンバーとして活動。
- THE BREAKERS後期のサポートメンバーとしてキーボードを担当した。
- 中島一徳 - ベース
- 田島 - ドラム
- ボルシーに所属。
- THE BREAKERSとして初めて出演した1978年クリスマスのライブに、ドラマーとして参加した[1]。
概要
真島が中学生の時、同級生の杉浦と組んだバンドが前身。高校の頃からTHE BREAKERSとして活動を始めた。当時は真島がベースを担当。中学が一緒だった大槻は一時的にドラムで参加していた。大槻の紹介で篠原がドラムとして加入(本来はベーシスト)。その後、篠原の高校の後輩である蓬田をドラマーとして迎え入れ、ベースの担当が真島から篠原に替わり、真島はギター担当になり4人編成となる。蓬田が脱退することになり、旧知の仲であった大槻が参加した。杉浦の脱退により3人編成となる。サポートのキーボード、ギターを入れてライブ活動を続行していたが、1985年に解散。
新宿、原宿のライブハウスを中心に活動し、ザ・コーツ、THE LONDON TIMES、ザ・シャムロックなどのバンドと共演し、モッズ族のヒーロー的存在として人気を集めていた。先駆者的に、原宿の歩行者天国でのバンド演奏を行っていた。当時のロックイベントに出演した映像や歩行者天国での映像はYouTubeなどで見ることができる。シーナ&ザ・ロケッツやRCサクセションが所属していた音楽事務所「りぼん」に所属。
後年、真島のソロで発表される「アンダルシアに憧れて」、「煙突のある街」は当時、THE BREAKERSで演奏されていた。「カレーライスにゃかなわない」、「さすらいのニコチン野郎」、「夜の中を」、「ローリングジェットサンダー」、「岡本君」なども元々は当時演奏されていた曲がベースになっている。元々はTHE BREAKERSの頃の曲で、後のTHE BLUE HEARTSやTHE HIGH-LOWS、ソロ作品の下敷きになった曲も多い。
THE BLUE HEARTSでデビュー以降、髪型があまり変わらない真島であるが、THE BREAKERS時代の髪型はリーゼント(1960年代のマージービート・バンドの影響)や、モヒカン(ザ・クラッシュのジョー・ストラマーの影響)など様々であり、ニックネームも「マーシー」ではなく「マッシー」だった。
真島は後年、自身の著書で、電気のブレーカーから命名したことを回顧[1]。当時住んでいた団地でブレーカーがよく落ちたとのこと。
略歴
- 1978年
- 杉浦(ギター)と真島(ベース)が中心となりトリオバンドとして結成。初期の頃はラブソングを中心に歌っていた。
- 1982年
- 初代ドラマーの加藤が真島、杉浦との意見の相違から脱退。篠原がドラムとして参加。その後、篠原がベースになり真島はギターとなる。そして大槻がドラムで参加。
- 1983年
- ビクター系列のレコード会社、フィリップス・レコードよりメジャー・デビューが決定する。しかし、所属事務所「りぼん」とレコード会社間で、初回プレス数について折り合いがつかず、デビューの話は白紙となる。
- デビュー・シングルとして発売予定だった「涙のCOOL DANCING/ダイヤルを廻すだけでいいのに」はプレス直前であり、業界向サンプルカセットテープなどは出回っていたが、結局、発売には至らなかった。
- 1984年
- 2月19日、杉浦が脱退。その後は真島・篠原・大槻の3人で活動を継続。
- この年の3月21日に、前年に白紙となったシングルを自主制作で発表する話もあったが、それも白紙となった。
- 1985年
- 1月25日、新宿JAM STUDIOのイベント「マーチ・オブ・ザ・モッズ」での演奏を最後にバンドは解散。なお、この日のライブには甲本ヒロトが飛び入りでステージに上がった。
解散後
真島は篠原と「ホリー・バーバリアン」というユニットで一度限りのライブを行う。甲本ヒロトらとTHE BLUE HEARTSやTHE HIGH-LOWSを結成。現在もザ・クロマニヨンズで精力的に活動。
篠原は1988年にソロ・シンガーとしてメルダックからメジャー・デビュー。ソロアルバムを2枚発表するが、その後、ソロ活動に疑問を持ち、1991年に大槻や古川英俊と共にTHE BRICK'S TONEを結成する。篠原は「ピノキオズ」、古川は「SPRRAY」、大槻は「ピアノトリオ」やドラム教室の講師としての活動も並行して行っている。解散後も篠原や大槻は真島のソロツアーやソロアルバムに参加している。
楽曲
オリジナル曲
- 3人ボーカル(杉浦、真島、篠原)
- BREAKERS STOMP!
- 真島ボーカル
- 涙のCOOL DANCING
- デモが存在する。
- ボツになったシングルレコードのA面。解散直前に歌詞を大幅に変えた。
- アンダルシアに憧れて
- デモが存在する。
- 歌詞を変えて真島のソロシングルでセルフカバーされた。後に近藤真彦に楽曲提供された。
- 錆びたナイフ
- デモが存在する。
- プラットホームで待ちくたびれて
- デモが存在する。
- BEATにしびれて
- デモが存在する。後の「さすらいのニコチン野郎」。
- 定番のラストナンバーだった。初期は「チャックベリーがエレキギター弾けば」だったが、後期には「ブッカ―Tがオルガンを弾けば」と歌詞を変えて歌われた。初期の頃は他部でも歌詞が変えられて歌われることもあった。
- ママにさよなら
- デモが存在する。
- メロディは後の「TRAIN-TRAIN」の一部になった説もあるが、真相は不明。
- スーパーマンを紹介するぜ
- デモが存在するが、よくデモと間違えられる音源がある。
- 後の「カレーライスにゃかなわない」。
- GIRL FRIEND
- デモが存在する。
- 素敵なBEAT TIME
- デモが存在する。
- 「このままで」と表記されている事が多いが間違い。桑田りんに提供された曲。
- 夜の中で
- デモが2パターン存在する。
- 初期のタイトルは「夢の中で」、後の「夜の中を」。
- クライマックス
- 一部分は「年をとろう」。
- 曲の中盤がカットされた音源が多く、フル音源はほとんど存在しない。
- 屋上の落伍者
- 後の「砂丘」
- 煙突のある街
- 後に真島のソロアルバムでセルフカバー。小山卓治に提供された曲。
- THE BREAKERS時代のライブでは一度しか演奏されていない。
- OH DARLING
- Baby Don't Look Back
- いつでもロックンロール
- Don't Knock Me Down
- ネット掲示板にて「恋はおしまい」の歌詞の書き込みがあった後からネット上で認知され始め、歌詞も不明であるため、この曲の存在自体が不明確。
- 恋はおしまい
- コーラスに「Don't Knock Me Down」と聴こえる部分がある為同タイトル曲(とされている曲)と同一の曲の可能性がある。
- 篠原ボーカル
- 窓に映ったシルエット
- デモが存在する。
- 永遠のシーズン
- HELLO! HELLO GIRL!
- デモが存在する。
- ダイヤルを廻すだけでいいのに
- デモが存在する。
- ボツになったシングルレコードのB面。後の「ローリングジェットサンダー」。
- SWINGING GENERATION
- 君の瞳に
- 初期のタイトルは「Cause My Heart Is Blue」で、歌詞も違っていた。
- 後の「アウトドア派」。
- STREET GIRL
- デモが存在する。
- 悲しきNO NO BOY
- 初期のタイトルは「SO I'M SAD」で、歌詞も違っていた
- 危ないKIDS
- あの娘のイニシャル
- デモが存在する。
- デモ音源では篠原、ライブでは真島が歌っている。
- 恋を恐れず(Don't Be Afraid Of Love)
- 大槻ボーカル
- どこかで I Think You
- デモが2パターン存在する。
- 時代遅れのタキシード
- デモが存在する。
- 初期のタイトルは「使い古しのタキシード」。
- DOWN TOWN BOY
- デモが存在する。
- フェアリーテール
- デモが存在する。
- ティーチャー
- デモが存在する。
- 後の「スティックマンにチープな夢を」。
- 凍り付いた五番街(俺の街)
- NOT SO GOOD
- 映画のような恋(MOVIE OF LOVE)
- デモが存在する。
- 杉浦ボーカル
- 恋は今すぐ
- デモが存在する。
- 恋に焦がれて
- 悲しみあふれでて
- デモが存在する。
- 二人の合い言葉
- デモが存在する。杉浦が最後に歌った曲。
- 忘れたのかい
- デモが存在する。
- 彼女がハートに火をつけた
- 初期のタイトルは「ハートに火がついた」
- あの娘にもう一度
- アンジェラ
タイトル・ボーカル不明
- Forever Thinking of You
- ボーカル不明。「STARDUST MEMORY」は間違い。
- (タイトル不明)
- ボーカル不明。1982年頃に歌われていた。後の「お前を離さない」。
- ボーカルは真島と杉浦。1981年頃に歌われていた。オリジナル。
- ボーカルは真島。1981年頃に歌われていた。オリジナル。
- ボーカル不明。1981年頃に歌われていた。オリジナルかカバーかも不明。
- ボーカルは加藤。1981年まで歌われていた。オリジナル。
カバー曲
- 全員ボーカル
- Shout
- 杉浦&真島ボーカル
- High Heel Sneakers
- Fortune Teller
- Bring It On Home To Me
- Don't Start Running Away
- Some Other Guy
- A Shot Of Rhythm and Blues
- 杉浦ボーカル
- Peanuts Butter
- You Can't Catch Me
- I got To Find My Baby
- Ain't That Just Like Me
- You Better Move On
- Will You Love Me Tomorrow
- Cadillac
- 真島ボーカル
- Reelin' and Rockin'
- So Sad About Us
- Walking The Dog
- Too Much Monkey Business
- Boom Boom
- I can't Explain
- For Your Love
- When A Man Loves A Woman
- What'd I Say (後に篠原カバー曲としてVoを交代)
- Do You Love Me
- Can't Hurry Love
- Everybody Needs Somebody
- 篠原ボーカル
- Oh! My Soul
- Laudy Miss Claudy
- Beautiful Dreamer
- Tutti Frutti
- Hippy Hippy Shake
- You're No Good
- What'd I Say (真島と交代してVoをとる)
- Route 66
- Sunny
- You Keep Me Hanging On
- 大槻ボーカル
- Everybody Loves A Lover
- Da Doo Ron Ron
- Glad All Over
脚注
出典
- ^ a b c 真島昌利『ROCK&ROLL RECORDER』2022年2月10日。ISBN 9784991221101。
関連項目
ブレーカーズ (邸宅)
(the breakers から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/24 08:24 UTC 版)
ザ・ブレーカーズ(The Breakers)は、アメリカ合衆国・ロードアイランド州ニューポートオーカー・ポイント通り(Ochre Point Avenue)、大西洋を臨む位置に建つ大邸宅。アメリカ合衆国国定歴史建造物の1つで、ベルヴュー通り歴史地区(Bellevue Avenue Historic District)の構成建築物であり、現在はニューポート郡文化財保護団体(Preservation Society of Newport County)の所有となっている。
概要
合衆国屈指の富豪ヴァンダービルト家の当主だったコーネリアス・ヴァンダービルト2世の夏の別邸として建てられ、いわゆるロスチャイルド風(Goût Rothschild)、あるいはボザール様式の建築様式を大いに採り入れている。設計は当時の高名な建築家リチャード・モリス・ハントが、内装はジュール・アラール(Jules Allard)とオグデン・コッドマン・ジュニア(Ogden Codman Jr)が担当した。
部屋数は70室、居住空間の総面積は約6万5000平方フィート(約6000m²)である。邸宅は1893年から1895年にかけ、1200万ドル(現在のレートに換算すると3億1000万ドル)をかけて建造された。オーカー・ポイント通りに面した正面ゲートは鉄製で装飾を施されており、通りの歩道に面した部分は30フット(9.1メートル)の、それ以外の敷地の境界でも12フット(3.6メートル)の鉄格子が張り巡らされている。ただし、海に面した部分には鉄格子は無い。5層からなる建物は中央の大ホールを中心に左右対称に広がっている。13エーカー(5万3000m²)の所有地は東側を大西洋岸の絶壁に囲まれている。
歴史
ブレーカーズが建つことになる敷地には、タバコ会社の経営者ピエール・ロリラード4世(Pierre Lorillard IV)が1878年に建てたアン女王様式(Queen Anne style architecture)のブレーカーズ・マンションが存在したが、1892年に火災で焼失した。その跡地を買い取ったコーネリアス・ヴァンダービルト2世は、初代ブレーカーズの教訓を生かして耐火性のある建物にすることを望み、ブレイカーズを木材を全く使わずに鋼鉄製の腕木で組み立てさせた。コーネリアス2世は暖房炉を屋敷から離れた場所に置くことまで命じ、暖房炉はオーカー・ポイント通り沿いに設置された。暖房炉が置かれたために、冬になると正面ゲート付近に積もる雪や氷は溶けてしまった。
デザイナーたちは屋内をイタリアやアフリカから輸入した大理石や、世界中から集められた珍木、モザイクなどで飾ることにした。図書室のマントルピースのように、フランスの城(シャトー)から買いつけられたものもあった。大広間(15m×15m×15mの正方形)は石灰石像で飾られ、それぞれの石像は芸術、科学、産業における人間の進歩を表現している。ガリレオ像が科学を、ダンテ像が文学を、アポロン像が芸術を、メルクリウス像が速度と商業をそれぞれ象徴する。石像は彫刻家カール・ビッターが制作した。大階段室には画家のジョン・ラファージがデザインしたステンドグラスが取り付けられた。
ブレーカーズはヴァンダービルト家が合衆国を代表する大資本家であった「金ぴか時代」の典型と言える建物である。実際、「もし金ぴか時代を集約した屋敷が1つ存在するとしたら、それはブレイカーズだ」と評する論者もいる[1]。1895年に完成を迎えたとき、ブレイカーズはニューポート一帯の巨大邸宅群の中で最も規模が大きく、最も豪華であった。
コーネリアス2世が1899年に死去すると、未亡人のアリス・ヴァンダービルトがブレーカーズを相続し、1934年に亡くなるまで所有した。アリスはブレーカーズをハンガリー人貴族に嫁いだ末娘のグラディス・セーチェーニ伯爵夫人に譲った。グラディスの合衆国内に所有する財産が兄姉と比べて見劣りがするため、その補償として譲られたのだった。また、グラディスの兄姉たち全員が、父親の建てたこの夏の別邸に興味を持たなかった。ブレーカーズは1938年のニューイングランド・ハリケーン(1938 New England hurricane)では最小限の被害しか受けず、地所の一部が浸水しただけで済んだ。
1948年、セーチェーニ伯爵夫人は屋敷の高額な維持費に困り、屋敷を非営利法人のニューポート郡文化財保護団体(Preservation Society of Newport County)に年1ドルで貸与することにした。同団体は1972年、ブレーカーズをセーチェーニ伯爵夫人の娘でこの屋敷を受け継いでいたシルヴィア・サーパリ伯爵夫人(Sylvia Szapary)から36万5000ドルで購入した。
しかし文化財保護団体はこの売買契約に際し、3階部分に関しては旧所有者の居住権を認める契約を交わしており、したがって3階部分は現在も非公開のままである。サーパリ伯爵夫人は1998年に死去するまでこの3階部分で暮らした。彼女の血を引くサーパリ伯爵家の人々は現在も毎年夏になると、屋敷の下層を歩き回る大勢の観光客から隠れるようにして、ブレーカーズの3階で休暇を過ごしている[2]。また保護団体が所有しているのは屋敷のみであり、建設当時から屋敷に置かれている豪奢な家具調度類はサーパリ伯爵家の所有物である。
ブレーカーズは現在、ロードアイランド州で最も多くの観光客を惹きつけているアトラクションであり、ツアー客を年中受け入れていることもあって、年間約30万人の観光客が訪れている。2009年春には経営上の問題から専用のツアーガイドの付添いを止め、より一般的になりつつあるオーディオヘッドセットによる解説を行うようになった。
レイアウト
地下階(Basement)は使用人のスペースで、洗濯場と使用人用トイレがある。
1階(First Floor)は玄関広間、紳士用休憩室と婦人用休憩室、大広間、大階段室、柱廊、図書室、音楽室、居間(Morning Room)、車寄せ(ポーチ)、開廊(ロッジア)下側、ビリヤード室、正餐室、マリッジ・チェスト(Marriage Chest)、朝餉の間(Breakfast Room)、配膳室、台所からなる。
2階(Second Floor)はヴァンダービルト氏の寝室、ヴァンダービルト夫人の寝室、ガートルード・ヴァンダービルト嬢の寝室、開廊上側、賓客の寝室、セーチェーニ伯爵夫人の寝室、その他2つの小寝室からなる。
3階(Third Floor)は大きく南翼と北翼の2つに分かれている。南翼には8つの寝室と、オグデン・コッドマン・ジュニアの手になるルイ16世様式のクルミ材の羽目板で装飾された茶の間(Sitting room)がある。3階の北側の翼は屋敷の使用人のスペースとなっており、使用人用の数多くの狭い寝室が配置されている。しかしこの部分も豪奢なブレイカーズの一部として、ルネサンス様式に統一されている。
屋根裏階(Attic Floor)は使用人のスペースで、貯蔵・保管庫、そしてシスターン(Cistern、トイレ用貯水タンク)が置かれた。
脚注
- ^ Gannon, Thomas. Newport Mansions: the Gilded Age. Fort Church Publishers, Inc., 1982: p. 8.
- ^ Miller, G. Wayne (2000年7月7日). “Fortune's Children”. A Nearly Perfect Summer (Providence Journal) 2007年8月10日閲覧. "The Breakers left family ownership three decades ago, when the Preservation Society bought it for $365,000, a pittance — but let Paul, Gladys and their mother continue summering on the third floor, formerly servants' quarters. Mother died in 1998 but her children summer there still, hidden from the hundreds of thousands of tourists who explore below."
参考文献
- Wilson, Richard Guy, Diane Pilgrim, and Richard N. Murray. American Renaissance 1876–1917. New York: The Brooklyn Museum, 1979.
- Baker, Paul R. Richard Morris Hunt. Cambridge, MA: The MIT Press, 1980.
- Benway, Ann. A Guidebook to Newport Mansions. Preservation Society of Newport County, 1984.
- Croffut, William A. The Vanderbilts and the Story of their Fortune. Chicago and New York: Belford, Clarke and Company, 1886.
- Downing, Antoinette F. and Vincent J. Scully, Jr. The Architectural Heritage of Newport, Rhode Island. 2nd edition, New York: Clarkson N. Potter, Inc., 1967.
- Ferree, Barr. American Estates and Gardens. New York: Munn and Company, 1904.
- Gannon, Thomas. Newport Mansions: the Gilded Age. Fort Church Publishers, Inc., 1982.
- Jordy, William H., and Christopher P. Monkhouse. Buildings on Paper: Brown University, Rhode Island Historical Society and Rhode Island School of Design, 1982.
- Lints, Eric P. "The Breakers: A Construction and Technologies Report" Newport, RI: The Newport Preservation Society of Newport County, 1992.
- Metcalf, Pauline C., ed. Ogden Codman and the Decoration of Houses. Boston: The Boston Athenaeum, 1988.
- Patterson, Jerry E. The Vanderbilts. New York: Harry N. Abrams, Inc., 1989.
- Perschler, Martin. "Historic Landscapes Project" Newport, RI: The Preservation Society of Newport County, 1993.
- Schuyler, Montgomery. "The Works of the Late Richard M. Hunt," The Architectural Record, Vol. V., October–December, 1895: p. 180.
- Smales, Holbert T. "The Breakers" Newport, Rhode Island. Newport, RI: Remington Ward, 1951.
- Thorndike, Joseph J., ed. Three Centuries of Notable American Architects. New York: American Heritage Publishing Co., Inc., 1981.
外部リンク
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「THE BREAKERS」の例文・使い方・用例・文例
- 命題と論理演算子『AND』『OR』『IF THEN』『EXCEPT』『NOT』を結合するジョージ・ブールによって考案された組合せ手順の、または、命題と論理演算子『AND』『OR』『IF THEN』『EXCEPT』『NOT』を結合するジョージ・ブールによって考案された組合せ手順に関する
- 新顔の中では,KICK THE CAN CREW,w-inds.そしてRAG FAIRが白組(男性チーム)での出場だ。
- 「踊る大捜査線THE MOVIE 2―レインボーブリッジを封鎖せよ!」が特に人気で,実写の日本映画としてこれまでで最高の収益を得た。
- しかし,「プリンセス&プリンスON THE アイス」というタイトルのCD は,2月22日に発売されてからすでに1万5000枚以上を出荷している。
- 隠し砦(とりで)の三悪人 THE LAST PRINCESS
- 交渉人 THE MOVIE
- 5月に公開予定の映画「座(ざ)頭(とう)市(いち) THE LAST」に出演している。
- THE LAST MESSAGE 海猿
- 荒川アンダー ザ ブリッジ THE MOVIE
- 踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望
- それらの映画の1本である2003年に公開された「踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」は,現在でも日本の実写映画の興行収入歴代1位である。
固有名詞の分類
日本のバンド |
GOOD 4 NOTHING フォー・セインツ THE BREAKERS THEモールスシンゴーズ NEIL&IRAIZA |
解散した日本のバンド・グループ |
シュガー・ベイブ モダンチョキチョキズ THE BREAKERS クリエイション NORTHERN BRIGHT |
ポピュラー音楽の音楽家一覧 (日本・グループ) |
パイロットとスチュワーデス WANDS THE BREAKERS アリス Galileo Galilei |
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