WSCクラス
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「国際モータースポーツ協会」の記事における「WSCクラス」の解説
コストの上昇とメーカー系ワークス・チームの離脱により、シリーズへの出場チームが減少したのに伴い、IMSAは1993年にWSC(ワールド・スポーツカー)と呼ばれる新プロトタイプカテゴリーを導入し、翌年よりGTPクラスおよびGTPライトクラスのクローズドボディの車両を置き換えることとした。WSC用車両はオープントップ、フラットボトムの車両で、GTP用車両がレース専用に製作されたエンジンを搭載するのに対して、量産車用のエンジンをチューニングしたものを搭載した。その後、フェラーリ・333SPとライリーアンドスコット・MkⅢ(オールズモビル/フォード)が、1995年から1998年終わりのIMSAの終焉まで、WSCクラスの主要なマシンとなった。 1987年にビショップは心臓手術が成功した後、自分の優先事項を再考し始めた。彼はIMSA セントピーターズバーグGPの所有者であるマイクコーンと、ジェフパーカーから連絡を受けた。 1989年1月、ビショップとフランスはシリーズをコーンとパーカーに売却し、ビショップは会長を辞職した。新しいオーナーは、IMSA本部をコネチカットからタンパベイに移転した。その後コーンとパーカーはシリーズをビジネスマンのチャールズ・スレーターに売却した。 1996年、チャールズ・スレーターは組織をロベルト・ミュラー(リーボックの元CEO)とウォール街の金融業者でインディカーのチームオーナーで、スカンディアWSCチームのオーナードライバーでもあったアンディ・エバンスに売却した。エバンスはIMSAから、プロフェッショナルスポーツカーレース(PSCR)に名称を変更した。 1990年代のシリーズは複数の所有権が交錯した状況、およびPSCRへの改名と、変化に富んだものとなった。
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