マザーズ・オブ・インヴェンション
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ザ・マザーズ・オブ・インヴェンション (The Mothers of Invention) は、1965年から1976年まで活動したアメリカ合衆国のロック・バンドである。作曲家・ギタリストのフランク・ザッパに率いられて彼の作品を演奏した[注釈 1]。
注釈
- ^ 稀にメンバーが共作者としてザッパと並んで名を連ねた場合があった。
- ^ 1970年5月には、元メンバーを中心にザ・マザーズ・オブ・インヴェンションを一時的に再結成して、ロサンゼルス・フィルハーモニックと共演した。1972年11月には、セッション・ミュージシャンを中心にした参加者と制作したアルバム『グランド・ワズー』をザ・マザーズ・オブ・インヴェンション名義で発表した。
- ^ 『ランピー・グレイヴィ』(1967年)、『ホット・ラッツ』(1969年)、『チャンガの復讐』(1970年)、『ワカ/ジャワカ』(1972年)、『アポストロフィ (')』(1974年)。
- ^ アルバム『ワカ/ジャワカ』(1972年7月)と『グランド・ワズー』(1972年11月)は共に1972年4月から5月にかけて制作され、参加者の多くが共通していたにもかかわらず、前者はザッパ名義、後者はザ・マザーズ・オブ・インヴェンション名義で発表された。『グランド・ワズー』の参加者の数は『ワカ/ジャワカ』よりも増え、その多くがザッパとの活動は初めてで彼と共にツアーに出たことなどなかったにも拘らず名義がザ・マザーズ・オブ・インヴェンションになったのは、数少ない例外と言えよう。ザッパは1971年12月のロンドン公演で観客の一人から暴行を受けて重傷を負い、ザ・マザーズ・オブ・インヴェンションを解散して療養生活を送っていたので、彼には契約を履行するために融通を利かす必要があったのかもしれない。因みに、彼は『ワカ/ジャワカ』について「当時、契約履行の為にザッパ名義のアルバムを作る必要があった」と明言している。
- ^ アルバム『ロキシー&エルスウェア』(1974年)と『ボンゴ・フューリー』(1975年)。後者はザッパ/ビーフハート/マザーズ名義。
- ^ アルバム『ワン・サイズ・フィッツ・オール』(1975年)。
- ^ 自伝The Real Frank Zappa Book. (Touchstone. ISBN 0-671-70572-5)ではthe M.O.I.という略語が使われている。
- ^ ザッパは1961年にレコーディング・エンジニアのポール・バフに出会い、バフが設立して所有していたパル・レコーディング・スタジオに出入りして、彼からレコーディングの基本を学んだ。やがてバフがハリウッドのスタジオで仕事をする時間が増えたのをきっかけに、ザッパは実質パル・レコーディング・スタジオを引き継ぎ、1964年7月にはバフの負債を肩代わりしてスタジオを買い取って、8月にスタジオZとして再出発させた。
- ^ 彼等は1963年にNed and Neldaの名義でシングル'Hey Nelda'、Baby Ray and The Fernsの名義でシングル'How's Your Bird?'を発表した。前者は二人の共作で、後者はザッパの単独作である。
- ^ ザッパは自伝に、コリンズがギタリストと喧嘩して暴力を用いて追い出したと記したが、コリンズによると、ギタリストはバンドを辞めたくて間違った演奏をするようになり、それを他のメンバーに指摘されて去っていったという。
- ^ コリンズがザッパに電話したのは、偶然にも彼が刑務所から出所した数日後のことであった。ザッパは1964年8月1日にスタジオZを再出発させて以来、様々なレコーディングを続けていた。しかし表通りの向こう側の教会が、スタジオZには怪しげな人々が出入りしていると警察に報告したので、警察はザッパが公序良俗に反する映画を撮影しているのではと疑った。1965年3月、ザッパは客を装った刑事がよこした「パーティ―で流したいから、行為を録音したテープを作ってくれ」という注文に応じてしまい、ガールフレンドと共同で、ベッドがきしむ音と声だけで行為を擬した30分程度のテープを制作した。そして3月26日に代金の支払いと引き換えに注文品を手渡そうとしたところ、踏み込んできた警官に連行された。彼は軽犯罪で有罪の判決を受けて「懲役6か月、10日間の執行の後に猶予、3年間の保護観察処分」の刑に服することになり、サンバーナーディーノ郡の刑務所の44℃近い室温の不衛生な房に45人の罪人と共に10日間押し込められた。この間、一度も掃除された痕跡がないシャワー室とトイレをあてがわれ、ゴキブリが入ったオートミールを朝食に支給される、という劣悪極まりない環境に置かれた。出所してスタジオZに行くと、そこは警察の捜査によってすっかり荒らされ、テープや機材などが押収されていた。
- ^ メンバー達が新しいバンド名をザ・マザーズに決めた日は5月の第2日曜日で「母の日」であったが、彼等は後日その偶然に気がついたという。
- ^ この頃、ザッパはスタジオZの賃貸の支払いを滞らせたので家主から締め出されてしまい、スタジオZでの彼の活動は終わった。
- ^ 定期的に出演していたジョニー・リバースがツアーで不在になったのがきっかけだった。
- ^ ザッパ、コリンズ、エストラーダ、ブラックは、ハリウッドに移った後、5人目のメンバーとしてアリス・スチュアート(ギター)、ヘンリー・ヴェスタイン(ギター)、スティーブ・マン(ギター)、ジム・ガルシオ(ギター)といった面々が次々に入れ替わる中、活動を続けてきた。ヴェスタインは後にキャンド・ヒートのオリジナル・メンバーになった。ガルシオはシカゴのプロデューサーとして名を馳せたジェイムス・ウイリアム・ガルシオである。
- ^ コリンズは貧しさに耐えられずに年の初めに脱退したが、イングバーの加入と相前後して再加入した。
- ^ ベーシストのエストラーダは、ローウェル・ジョージとともに、リトル・フィートを結成した。ジョージは、1968年後半から1969年前半にかけての数ヶ月間、MOIに在籍したが、ドラッグに溺れていたためザッパから解雇された。
- ^ ピンク・フロイド、ザ・ナイス、イエス、ソフト・マシーン、キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドなどが出演。ザッパとピンク・フロイドがジャム・セッションを行なう映像が残っている。
- ^ 元ジョン・メイオールズ・ブルースブレイカーズ。
- ^ ホット・ラッツやチュンガといった単語は、この時期に発表されたザッパのソロ・アルバム『ホット・ラッツ』(1969年)、『チュンガの復讐』(1970年)の題に由来していると考えられる。
- ^ ボルマンがPhlorescent Leech、カイランがEddieという通名を持っており、フロレセント・リーチ&エディ、略してフロ&エディとして知られる。
- ^ ザッパが1970年に発表したソロ・アルバム『チャンガの復讐』で初めてザッパと共演し、1970年代中期のMOIの中核を担うメンバーとなった。
- ^ 後にメンバー・チェンジで、元MOIのプレストン、ジム・ポンズ(ベース・ギター)、ボブ・ハリス(キーボード、ヴォーカル)が加入した。
- ^ オリジナル・メンバーのジミー・カール・ブラック、フォーク歌手のセオドア・ビケル、リンゴ・スター、キース・ムーンなどが出演した。
- ^ この一つ前のコンサートは、一週間前の12月4日にスイスのモントルー・カジノで開かれ、アンコールの時に観客の一人が打ち上げた花火によって火災が発生。犠牲者は出なかったが、MOIは機材を失ってしまった。カジノで新作アルバムを制作する為に現地に滞在していたディープ・パープルは、この火災に遭遇して、代表曲になったスモーク・オン・ザ・ウォーターを制作した。
- ^ 結婚前にルース・コマノフの名で『アンクル・ミート』(1969年)に参加してマリンバやビブラハープを演奏した。また『200モーテルズ』(1971年)にもゲストで参加した。
- ^ 1972年9月24日のボストン公演のライブ音源が、ザッパの遺族によって2007年にザッパ名義のCD『ワズー』として発表された。
- ^ ツアーからのライブ音源が、ザッパの遺族によってImaginary Diseases(2006年)、Little Dots(2016年)に収録されて発表された。いずれのCDの名義もザッパであった。
- ^ ジャケットには"ZAPPA/MOTHERS"と記された。
- ^ フランク・ザッパ・アンド・ザ・マザーズ・オブ・インヴェンションの名義。
- ^ 1975年4月と5月に行なわれたMOIとキャプテン・ビーフハートとの共同名義による国内ツアーのライブ音源を中心にしたアルバムで、ザッパ/ビーフハート/マザーズの名義で発表された。
- ^ 後年、ザッパや彼の遺族がMOIの音源を収録して発表したCDには、『プレイグラウンド・サイコティクス』(1992年)や『アヘッド・オブ・ゼア・タイム』(1993年)のようにMOIの名前が名義に含まれたものと、『ヘルシンキテープス'74 / オン・ステージ Vol.2』(1988年)のようにフランク・ザッパ名義のものとがある。
- ^ ザッパ、テリー・ボジオ(ドラムス)、ナポレオン・マーフィー・ブロック(テナー・サクソフォーン、ボーカル)、ロイ・エストラーダ(ベース・ギター、ボーカル)、アンドレ・ルイス(キーボード、ボーカル)の5人編成。
- ^ 前述のように、ザッパは1969年8月にMOIを解散した後、同年11月から1970年4月までの間、Frank Zappa & Hot RatsやFrank Zappa & Friendsなどの名義で元MOIのミュージシャンらと数回ステージに立っており、その中には5人編成や4人編成で演奏した場合があった。
- ^ ’Zoot Allures’のギター・ソロは1982年5月30日のコンサートで録音されたものである。
- ^ 1971年6月6日にニューヨーク・フィルモア・イーストにて開催されたMOIのコンサートのアンコールにレノン夫妻がゲスト出演した時の音源をレノン側が独自に編集したものが、2枚組アルバムのD面に収録された。ウォルター・ワードの「ウェル」以外の収録曲の曲名と作者名は全てレノン側の決定による。ザッパ作の'King Kong'の演奏は、ザッパの許諾なしでレノン/オノ作「ジャムラグ」とされてしまい、ザッパに印税は支払われなかった。
- ^ 2008年、病没。
出典
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- ^ a b Zappa & Occhiogrosso (1990), p. 78.
- ^ Zappa & Occhiogrosso (1990), p. 65.
- ^ Zappa & Occhiogrosso (1990), pp. 65–66.
- ^ Miles (2004), p. 90.
- ^ Miles (2004), p. 96.
- ^ Zappa & Occhiogrosso (1990), p. 82.
- ^ a b Zappa & Occhiogrosso (1990), p. 109.
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- 1 マザーズ・オブ・インヴェンションとは
- 2 マザーズ・オブ・インヴェンションの概要
- 3 日本公演
- 4 ザ・グランドマザーズ
- 5 外部リンク
「The Mothers of Invention」の例文・使い方・用例・文例
- The Malay Times に掲載されていた、非常勤の下級アナリストの職に関する広告についてご連絡を差し上げています。
- ‘They are flying kites.' はあいまいな文である.
- 話し中です (《主に英国で用いられる》 The number's engaged.).
- 名詞相当語句 《たとえば The rich are not always happier than the poor. における the rich, the poor など》.
- 総称単数 《たとえば The dog is a faithful animal. の dog》.
- =《口語》 These kind of stamps are rare. この種の[こういう]切手は珍しい.
- 王立オペラ劇場 《the Covent Garden Theatre のこと》.
- 英国学士院 (The Royal Society)の会報.
- 初めて読んだ英文小説は“The Vicar of Wakefield”
- 『Scotish』は、『The Scottish Symphony』や『Scottish authors』、あるいは、『Scottish mountains』のような、より正式な言葉遣いの傾向がある
- STD(神学博士)はラテン語のSanctae Theologiae Doctorに由来する
- 『The boy threw the ball(少年がボールを投げた)』は、能動態を使う
- 『The ball was thrown(ボールは投げられた)』は簡略化された受動態である
- 1992年,「The Animals(どうぶつたち)」という本のために,まどさんの動物の詩のいくつかが皇后美(み)智(ち)子(こ)さまによって英訳された。
- 式典は,3Dコンピューターアニメ映画「I Love スヌーピー The Peanuts Movie」の米国公開の数日前に行われた。
- Microsoftがβ版をランチするのは「NetShow streaming server」で動画や音声をオンデマンドで提供する。
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 an admiral of the fleet 海軍元帥.
- 篏入的 r 音 《英音の India office /ndiərfɪs/の /r/の音》.
- (英国の)運輸省. the Ministry of Education(, Science and Culture) (日本の)文部省.
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