TAM地域航空とは? わかりやすく解説

TAM地域航空

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 08:11 UTC 版)

LATAM ブラジル」の記事における「TAM地域航空」の解説

1976年、アマロはTAM社の全株式取得すると、当時サンパウロ州州立航空会社であったVASP航空提携しサンパウロ州マットグロッソ州1977年分割され現在のマットグロッソ州地域を指す)とを結ぶローカル線就航へと乗り出すこととなる。新会社はTAM地域航空(TAM Regional Airlines)と名づけられ、当初エンブラエルEMB110「バンデイランテ」型機を運航したほどなく定員21名の同機では旅客能力が不十分であることが判明し中古フォッカーF27ターボプロップ機3機を新たに導入することとなったしかしながら国産機であるエンブラエル機に代えて外国産機を導入する形となるため(なお、エンブラエルでは当時EMB-110より大きな機体生産されていなかった)、この機体オランダフォッカー社本社レストアされた後にブラジル運び込まれる際に、エンブラエル社のオーナーであるブラジル政府との間で問題起こすこととなり、結果としてエンブラエルEMB110型を3機残すことと、フォッカーF27各機から座席それぞれ5席取り外し定員40名に削減することを余儀なくされた。 こうした一幕ありながらも、1981年には4機目のフォッカーF27ニュージーランド航空から購入し1983年には10機のフォッカーF27保有するまでになった旅客能力増強に伴い1981年には年間旅客数100万人を達成し、翌1982年にはさらに倍増して旅客数200万人達成した1986年8月財務上の圧力により、TAM社は株式市場公開した同年にはブラジル国内の地域航空会社であるVOTEC社を買収しブラジル北部地域マットグロッソ州以外の中西部地域連邦直轄区ゴイアス州)への航路確保した。 この時期TAM社は自社の「TAM」という名称について「Transportes Aéreos Meridionais(南方航空)」の略号であるという見解改め社名として「TAM Transportes Aéreos Meridionais(TAM南方航空)」を用いようになった1988年には年間旅客数300万人達した

※この「TAM地域航空」の解説は、「LATAM ブラジル」の解説の一部です。
「TAM地域航空」を含む「LATAM ブラジル」の記事については、「LATAM ブラジル」の概要を参照ください。

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