シンザン
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シンザン(欧字名:Shinzan、1961年4月2日 - 1996年7月13日)は、日本の競走馬、種牡馬[1]。
シンザンの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ボワルセル系 | [§ 2] | ||
父 *ヒンドスタン Hindostan 1946 黒鹿毛 | 父の父 Bois Roussel1935 | Vatout | Prince Chimay | |
Vasthi | ||||
Plucky Liege | Spearmint | |||
Concertina | ||||
父の母 Sonibai1939 | Solario | Gainsborough | ||
Sun Worship | ||||
Udaipur | Blandford | |||
Uganda | ||||
母 ハヤノボリ 1949 栗毛 | ハヤタケ 1939 鹿毛 | *セフト | Tetratema | |
Voleuse | ||||
飛竜 | *クラックマンナン | |||
*オーフロラ(Yinkari) | ||||
母の母 第五バッカナムビューチー1941 栗毛 | *トウルヌソル | Gainsborough | ||
Soliste | ||||
バッカナムビューチー | *シアンモア | |||
第三ビューチフルドリーマー F.12 | ||||
母系(F-No.) | 12号族(FN:12) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Gainsborough 4×4、Sun Worship 4×5、Gallorette・Pretty Polly 5×5 | [§ 4] | ||
出典 |
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注釈
- ^ 次点はビワハヤヒデの15連続連対。連対率100パーセントに限るとダイワスカーレットの12連続連対が次点。
- ^ 母の母の母。
- ^ 『シンザン物語』p.212によると320万円。より古くに書かれた『黄金の馬シンザン』p.300によると300万円。ちなみに当時東京優駿の優勝賞金は700万円であった。
- ^ 栗田勝の息子で、後に日本中央競馬会の騎手、調教助手。武田は母方の祖父にあたる。
- ^ 人為的に仔馬を母馬から引き離すこと。
- ^ スプリングステークスは本来中山競馬場で行われるが、この年は中山競馬場の改修工事が行われていたため東京競馬場で行われた。後述の皐月賞も同様。
- ^ シンザンは関東に遠征したときには中村の厩舎で管理された。その際には武田は中村の自宅に宿泊した[12]。
- ^ ただし、ルドルフの年は多雪、長雨の影響で馬場がダービーの時期にも回復せず、大量の砂が入れられた半ばダートのような馬場であった[14]。
- ^ 武田の決定の根拠は、京都の夏の気温に対応した状態にあるシンザンを北海道へ送り、さらに涼しくなった北海道に対応した状態で残暑の厳しい京都へ戻すことによるリスクを回避することにあった。
- ^ 具体的な症状としては体温が普段よりも5〜6分上昇し、汗をまったくかかなくなった。
- ^ 厩舎が使った氷は一日60貫で、ひと夏に20万円の費用を要した。
- ^ 調教でよく走るオンワードセカンドを相手に、相手よりも長い距離を走ったにもかかわらず先にゴールした。
- ^ 菊花賞に出走した二冠馬で1番人気に推されなかったのは史上初のことであった。
- ^ 目黒記念は距離が2500メートルと長いうえに、負担重量を減らす手段がないハンデキャップ競走であったため、当初武田はローテーションの候補から除外していた。
- ^ JRAのGI級競走における単勝支持率としてはハクチカラ(1957年天皇賞〈秋〉、85.9パーセント)とディープインパクトの菊花賞(79.03パーセント)に次ぐ記録。
- ^ 5例の内訳は、1951年皐月賞(勝ち馬トキノミノル)、1957年桜花賞(ミスオンワード)、1957年天皇賞・秋(ハクチカラ)、1957年有馬記念(ハクチカラ)、2005年菊花賞(ディープインパクト)。
- ^ 中央競馬のみの記録。当時の地方競馬では記録に不備があり残っていない。
- ^ 右目の眼球が白濁していたため一般には白内障といわれているが、正確な病名は不明である[42]。
- ^ そのうちのいくつかはマスコミによってシンザンが危篤状態に陥ったと報道された。
- ^ 満年齢。旧年齢表記で36歳。
- ^ 昭和50年代以降、日本で土葬された競走馬は、シンザンのほかにテンポイント、サクラスターオー、マルゼンスキー、ナリタブライアン、パシフィカスの計6頭が確認されている。
- ^ カネケヤキは1961年3月12日に生まれ、1995年10月28日に死亡した。なお、同馬はシンザン三冠達成の菊花賞にも出走していた。
- ^ マイネルダビテは、2020年5月3日には年齢が36歳になったことが同年6月2日付けの北海道新聞に掲載された[48]。また、2020年11月28日放送のテレビ東京ウイニング競馬にて、ジャパンカップに出走するデアリングタクトのことについて代表の岡田牧雄を直撃取材した際に、本馬の記録を1年3ヶ月超える36歳6ヶ月(いずれも取材時点)である同馬が、代表の親友として紹介された[49]。
- ^ 種牡馬、産駒にマイシンザン。
- ^ 天皇賞春3着、高松宮杯2着。愛知杯ではスガノホマレを破った。
- ^ レコード勝ち5回。
- ^ 芝2000メートル2分の壁を初めて破る。
- ^ 菊花賞2着、日経新春杯2着、毎日王冠2着
- ^ 40戦して10勝、堅実に走り着外はわずか6回、最終的に2億円以上を稼ぎ出して当時の賞金女王になった。
- ^ 中山牝馬ステークス(オープン特別)連覇
- ^ シンザン記念2着、日経新春杯2着。中京記念2着。
- ^ シンザン産駒初の重賞優勝馬、シンザン記念でも好走。その後供用2年目で死亡。
- ^ 函館記念2着、函館3歳ステークス2着
- ^ 天皇賞(秋)3着。アサヒテイオーの全兄、アサヒエンペラーの半兄。
- ^ アサヒダイオーの全弟。
- ^ アメリカジョッキークラブカップ2着、オールカマー2着
- ^ 最後の重賞優勝馬。
- ^ 唯一の障害重賞勝ち馬。
- ^ 日経新春杯2着、中京記念2着。ウラカワチェリーの兄。種牡馬として、産駒にエントリーストーム。
- ^ ハシストームの弟。競走馬としては中央競馬準オープン。
- ^ 福島テレビ杯、ストークステークス。1994年引退。
- ^ 桜花賞2着、エリザベス女王杯2着。サンケイスポーツ杯4歳牝馬特別2着。高松宮杯3着。
- ^ 。元競走馬が障害飛越競技で五輪日本代表になったのは、2010年現在この馬のみである。総合馬術の代表経験馬は1932年ベルリン五輪に出場したアスコット(帝室御賞典など17勝)、1976年モントリオール五輪に出場したインターニホン(8勝)がいる。
- ^ ホッカイドウ競馬の競走名である「五冠神讃特別」は同名の日本酒の銘柄に由来するが、その日本酒もシンザンから命名している(大本命五冠神讃 北海道日高振興局)。
- ^ 当時の『優駿』誌の有力厩舎の新馬紹介では「仕上がりは早く、秋の一番馬の期待は持てる」との評価を与えているが、武田厩舎の馬の紹介順では、オンワードセカンドらのあとであった。
- ^ 武田が管理したクラシック二冠馬。
- ^ 具体的には、シンザンに蹄鉄を履かせながら作成された。
- ^ 当時の見習騎手は「騎手免許取得後3年未満」の騎手を指しており、勝利数に関わらず負担重量の軽減を得られた。そのため、シンザンのみならず一線級の馬がオープン戦に出走する際、重い負担重量を避けるために主戦と異なる見習騎手を起用する事例は珍しくなかった。
- ^ このとき、中山競馬場でレースまで掛かりっきりで調教をつけた博によると、調教時から馬体が重く、調教で気合を付けながら強めに追っても伸びなかったという。
- ^ 『シンザン物語』によると急性アルコール中毒。『黄金の馬シンザン』によると急性胃腸カタル。
- ^ 武田の意向に関わらず、栗田が全治1か月と診断されたため、あるいは騎乗停止処分を受けたことによって騎乗が不可能になったという説もある[110]。
- ^ 武田は当初中山競馬場をよく知る関東の騎手に乗せたいと思い、当時のリーディングジョッキーだった加賀をはじめ複数の騎手に騎乗を打診したが、依頼を断られている。
- ^ オープンで見習騎手が騎乗した馬の斤量は3キロ減らされた。
出典
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- ^ a b 芹沢邦雄 編「JRA Millennium Campaign Dream Horses 2000…BEST7 シンザン」『20世紀の名馬』 2000年10月2日号、発行人 渡辺秀茂、産業経済新聞社〈Gallop臨時増刊〉、2000年9月5日、18頁。
- ^ a b c 『週刊朝日』1970年5月29日号、106頁。
- ^ 『サンデー毎日』1970年5月31日号、37頁。
- ^ 「競馬新聞“郵俊” YUSHUN 嗚呼!! 忘れ得ぬ三冠馬シンザン あの雄姿はいまも切手に残る!」『郵趣』(日本郵趣協会)1995年11月号、29頁。
- ^ 『シンザン物語』p.203
- ^ 『黄金の馬シンザン』p.18
- ^ 『シンザン物語』p.209
- ^ ““平成のシンザン”スルタンV/新馬戦 - 競馬ニュース : nikkansports.comからアーカイブ”. web.archive.org (2020年10月20日). 2021年4月26日閲覧。
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