リューリク (装甲巡洋艦・2代)とは? わかりやすく解説

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リューリク (装甲巡洋艦・2代)

(Russian cruiser Rurik (1906) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/11 01:22 UTC 版)

リューリクロシア語: Рю́рикъ[12] [ˈrʲurʲɪk リューリク])は、ロシア最後の装甲巡洋艦である。第一次世界大戦開戦時には、ロシア帝国海軍バルト艦隊旗艦であった。ロシア革命後はロシア帝国から臨時政府に所有が移り、その後ロシア共和国を経てロシア・ソヴィエト共和国に保有された。


  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 1908年までバルト艦隊(Балтийский флот)、同年からバルト海海軍(Морские силы Балтийского моря)、1909年にバルト海行動海軍(Действующий флот Балтийского моря)、1911年にバルト海海軍(Морские силы Балтийского моря)、1914年にバルト艦隊(Балтийский флот)、1918年にバルト海海軍(Морские силы Балтийского моря)に改称している。флотМорские силыの訳し分けが困難なため、ここでの日本語訳は便宜上のもの。
  2. ^ 16930 tとも。
  3. ^ 計画喫水線長は157.6 m。
  4. ^ 燃料中程度の積載時の計画喫水は7.9 m。
  5. ^ 20670 馬力とも。
  6. ^ ヤーロウ式とも。
  7. ^ 1 基当たり。
  8. ^ 6100 nmiとも。
  9. ^ a b c 10 dm、あるいは10 ヂュイムとも表記される。これはインチのことで、254 mmに相当する。ロシア帝国海軍では、元々インチを用いているイギリス製兵器については制式名称では"を使用していたが、国内開発兵器についてはmmを用いていたため、前者についてもmmが使用されることがあった。
  10. ^ a b c 8 dm、 8 ヂュイムとも。8 インチのことで、203 mmに相当する。
  11. ^ 装甲厚は、特記なき場合はその部位における最大値。
  12. ^ 革命前のロシア語正書法による表記にアクセント記号を付与したもの。現代ロシア語の正書法ではРю́рик
  13. ^ 当初の分類については特に言及がないが、海軍に登録された1905年の時点ではいわゆる装甲巡洋艦は一等巡洋艦に分類されていて海軍に装甲巡洋艦という類別が存在しなかったため、リューリクについても一等巡洋艦に分類されていたものと推測される。
  14. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では10月10日に当たる。
  15. ^ Морвед Броненосные крейсера 1907 - 1915 (ロシア語)
  16. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では7月29日に当たる。
  17. ^ Морвед Крейсера (16.07.1915 - 30.04.1918)[リンク切れ] (ロシア語)
  18. ^ ただし、装甲巡洋艦のままであったように書かれることがある。
  19. ^ Р.М. Мельников. «Рюрик» был первым. — Л.: Судостроение, 1989. Комментарии и примечания (ロシア語)
  20. ^ 当初はルーシの公朝であったが、のちにロシア・ツァーリ国などロシア国家の王朝がルーシのリューリク朝を継承する。また、当時のロシアではキエフ・ルーシはロシア国家の始祖とする説が採用されていたため、リューリク朝は紛れもないロシア王朝の始祖であった。
  21. ^ ペーパープランに終わった艦、途中で類別が戦列巡洋艦に変更された艦などを考慮に入れない。
  22. ^ ロシア海軍における1915年7月16日以降の分類で、イギリス海軍などにおける巡洋戦艦に当たる艦種。
  23. ^ Р.М. Мельников. «Рюрик» был первым. — Л.: Судостроение, 1989. Комментарии и примечания (ロシア語)
  24. ^ 一人の場合(単数形ではリューリコヴェツрюриковец)。
  25. ^ a b c d флотとの区別のため、эскадраの訳に「連合艦隊」を当てている。日本海軍の聯合艦隊とは異なる組織であるが、単一の司令官の下に置かれる複数の艦隊からなる臨時編成の大艦隊ということで便宜上、この用語を充てる。なお、辞書による翻訳は「大艦隊」であるが、「艦隊」(флот)より大きな組織であるかのごとき誤解を生むため、原則として使用しない。
  26. ^ 1892年2月1日改正から1907年9月27日改正までのロシア海軍の艦船分類において、艦隊装甲艦はイギリス海軍などでいうところの戦艦に相当する艦種であった。なお、ペレスヴェート級は1916年から巡洋艦に分類を変更されている。
  27. ^ a b c d e Г.Смирнов, В.Смирнов. УРОКИ ПОСЛЕДНИХ СРАЖЕНИЙ — «МОРСКАЯ КОЛЛЕКЦИЯ "МК"», 04'1980 (ロシア語)
  28. ^ バヤーンは、元来日清戦争において致命的な脆弱性を露呈した防護巡洋艦に対する不信から設計された軽量・高速の装甲巡洋艦であった。艦の規模を従来のジアーナ級防護巡洋艦並みに抑えるために武装が抑えられており、従来の重装備の装甲巡洋艦と比べれば、元々迫力に欠ける艦であった。それでも防御・速力に優れある程度の武装を持ったバヤーンは日露戦争時のロシア海軍で最も優れた巡洋艦であり、日露戦争終結前から海軍省は改良を加えた準同型艦、すなわちアドミラール・マカーロフ級3 隻を発注した。
  29. ^ a b Ненахов Ю.Ю. Энциклопедия крейсеров. 1860 - 1910. — Минск: Харвест, 2006. — С. 353. (ロシア語)
  30. ^ a b c § 25. Военное кораблестроение в дореволюционной России накануне первой мировой империалистической войны. Классы и типы военных кораблей того времени. К истории военного кораблестроения. М.: Военмориздат ВММ СССР. http://militera.lib.ru/tw/shershov_ap/25.html (ロシア語)
  31. ^ コステーンコは1881年の生まれなので、このときまだ30歳にもなっていなかった。
  32. ^ Р.М. Мельников. «Рюрик» был первым. — Л.: Судостроение, 1989. Комментарии и примечания (ロシア語)
  33. ^ Р.М. Мельников. Броненосные крейсера типа «Адмирал Макаров» (1906-1925). — «Корабли и сражения», Ленинград-Санкт-Петербург, 1980-2006. 5. Закладка и спуск на воду (ロシア語)
  34. ^ a b c d e f g h i j С.Е. Виноградов, А.Д. Федечкин. «Рюрик» — флагман Балтийского флота. — Москва, 2003. Глава 3. Конструкция и устройство (ロシア語)
  35. ^ ロシア語では弩級艦以前の艦は区別されないが、これらは一般に前弩級戦艦の中でも主砲・中間砲・副砲を備える準弩級戦艦と呼ばれる部類の艦である。ロシア海軍では1907年までは艦隊装甲艦、それ以降は戦列艦に分類された。
  36. ^ ケースメート
  37. ^ С.Е. Виноградов, А.Д. Федечкин. «Рюрик» — флагман Балтийского флота. — Москва, 2003. Глава 2. Строительство и испытаний (ロシア語)
  38. ^ a b Р.М. Мельников. Броненосные крейсера типа «Адмирал Макаров» (1906-1925). — «Корабли и сражения», Ленинград-Санкт-Петербург, 1980-2006. 15. Завершение шестилетней эпопеи (ロシア語)
  39. ^ a b c d e Р.М. Мельников. Броненосные крейсера типа «Адмирал Макаров» (1906-1925). — «Корабли и сражения», Ленинград-Санкт-Петербург, 1980-2006. 12. Прогрессивный Вирен и ретроград Крылов (ロシア語)
  40. ^ a b 日本海海戦のロシア側の呼称。ここでは出典元での表記に準ずる。
  41. ^ a b c d e Ненахов Ю.Ю. Энциклопедия крейсеров. 1860 - 1910. — Минск: Харвест, 2006. — С. 354. (ロシア語)
  42. ^ 船首と船尾の喫水の差。差があるということは、つまり船体が前方または後方に沈み込んでいるということ。
  43. ^ a b c d e f g h i j k l m С.Е. Виноградов, А.Д. Федечкин. «Рюрик» — флагман Балтийского флота. — Москва, 2003. Глава 5. Первый среди равных (ロシア語)
  44. ^ ドイツ帝国海軍での巡洋戦艦や装甲巡洋艦に対する類別呼称。
  45. ^ ドイツ海軍では21 cm L/45 C/04と呼んだ。
  46. ^ ドイツ海軍では15 cm L/45 C/06と呼んだ。
  47. ^ その当時はまだ巡洋戦艦の類別が存在しなかったため、装甲巡洋艦に相当する一等巡洋艦に分類されていた。
  48. ^ 日本海軍では30.5 cm砲と呼んだ。
  49. ^ 日本海軍では15.2 cm砲と呼んだ。
  50. ^ ロシアの分析官はエドガー・キネ級を「6 本煙突が美しい大型艦だが、英独の巡洋戦艦と比較した場合、絶望的なほど精神的に旧式化していた」と断じているが、同級の設計には前級の搭載した45口径164 mm砲を全廃しかわりに192 mm主砲を増設して口径を統一するという、弩級巡洋戦艦に通じる先進性が見られた。主砲口径が小さいのはエドガー・キネ級特有の問題ではなくフランスの装甲巡洋艦の伝統的な問題であり、同級はフランス式装甲巡洋艦としては完成形であった。
  51. ^ 234 mm砲。
  52. ^ 191 mm砲。
  53. ^ ロシアのフランス製装甲巡洋艦バヤーン級(アドミラール・マカーロフ級)もこの系譜に連なる。
  54. ^ All the World's Fighting Ships: 1860-1905. London: Conway Maritime Press, Ltd.. ISBN 978-0851771335 (英語)
  55. ^ ロシアの防護巡洋艦は19世紀末に設計されたボガトィーリ級を最後に新規の建造計画がなく、事実上日露戦争以降は整備が取りやめられていた。
  56. ^ 1915年7月16日から戦列巡洋艦に類別。
  57. ^ a b c Р.М. Мельников. «Рюрик» был первым. — Л.: Судостроение, 1989. Глава 9. §36. «Россия» и «Громобой» на Балтике (ロシア語)
  58. ^ a b Р.М. Мельников. Броненосные крейсера типа «Адмирал Макаров» (1906-1925). — «Корабли и сражения», Ленинград-Санкт-Петербург, 1980-2006. Балтийский отряд (ロシア語)
  59. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc С.Е. Виноградов, А.Д. Федечкин. «Рюрик» — флагман Балтийского флота. — Москва, 2003. Глава 4. В строю (ロシア語)
  60. ^ a b 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では9月1日に当たる。
  61. ^ a b c d e f g h i Служба крейсеров типа «Адмирал Макаров». Броненосные крейсера типа "БАЯН". МОРСКАЯ КОЛЛЕКЦИЯ. Моделист-Конструктор. http://www.wunderwaffe.narod.ru/Magazine/MK/1997_03/13.htm (ロシア語)
  62. ^ ニコラ1世は、1910年8月15日に「王」(Краљ)の称号を宣言した。それまでは「王」ではなく「主教公」(Књаз)を称していた。
  63. ^ フォアトップマスト。前檣の下から2番目のマスト。
  64. ^ 亡命系雑誌『軍事の実話 Военная быль』第47号(1961年3月、p.26-27)では「オーストリア大艦隊への威嚇射撃を行った」というN・S・マニコーフスキイ提督(1859年 - 1937年パリ)の証言が載せられているが、今日ではこの「伝説」は否定的に見られている。つまり、実際には1 隻の大臣艦(カイザー・カール6世)しかいなかったのが「大艦隊」に変えられている点、ロシア艦の砲に実弾が込めてあったという点、そしてその砲をオーストリア艦隊の旗艦に向けていたという点などの確認が取れない。
  65. ^ a b c Р.М. Мельников. Броненосные крейсера типа «Адмирал Макаров» (1906-1925). — «Корабли и сражения», Ленинград-Санкт-Петербург, 1980-2006. 16. Бухта Тагалахт (ロシア語)
  66. ^ 臨時で艦隊司令官が他艦に乗艦した場合、旗艦はほかに移った。例えば、エッセン司令官はリューリクのほかにアドミラール・マカーロフ、パルラーダ、アンドレイ・ペルヴォズヴァーンヌイなどに乗艦している。
  67. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では9月21日に当たる。
  68. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では9月26日に当たる。
  69. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では9月28日に当たる。
  70. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では9月29日に当たる。
  71. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では10月2日に当たる。
  72. ^ 冬季に海が凍りに閉ざされて艦船が活動できなくなるため、港で予め越冬態勢に入れること。退役後の予備役のように武装解除を受けるわけではないので、武装予備役(вооруженный резерв)と呼んだ。
  73. ^ 現地名。ロシア側の名称ではモオンズーント海峡。
  74. ^ М.А. Петров. Подготовка России к мировой войне на море. — М-Л.: Государственное военное издательство, 1926. Краткий стратегический очерк Балтийского и Черноморского театров войны. (ロシア語)
  75. ^ a b c d e Краткая хронология боевых действий Балтийского флота в период с августа 1914 г. по октябрь 1917 г. (1914 год) - Российский Императорский флот / IT InfoArt Stars (ロシア語)
  76. ^ Обстановка в январе 1915 года - Российский Императорский флот / IT InfoArt Stars (ロシア語)
  77. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では8月1日に当たる。
  78. ^ 25 июля - 1 августа, 1914 год - Российский Императорский флот / IT InfoArt Stars (ロシア語)
  79. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では9月2日に当たる。
  80. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では9月3日に当たる。
  81. ^ a b c Сентябрь, 1914 год - Российский Императорский флот / IT InfoArt Stars (ロシア語)
  82. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では9月11日に当たる。
  83. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では9月12日に当たる。
  84. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では9月14日に当たる。
  85. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では9月25日に当たる。
  86. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では9月27日から29日に当たる。
  87. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r Р.М. Мельников. Броненосные крейсера типа «Адмирал Макаров» (1906-1925). — «Корабли и сражения», Ленинград-Санкт-Петербург, 1980-2006. 18. Крейсера на войне (ロシア語)
  88. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では11月17日から22日に当たる。
  89. ^ Заградительные операции 6-14 ноября 1914 года - Российский Императорский флот / IT InfoArt Stars (ロシア語)
  90. ^ または駆逐艦。ロシア語で両者が区別されないため。
  91. ^ Обстановка с 15 ноября по 1 декабря 1914 года - Российский Императорский флот / IT InfoArt Stars (ロシア語)
  92. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では12月14日に当たる。
  93. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では12月15日に当たる。
  94. ^ Заградительная операция 1-2 декабря 1914 года - Российский Императорский флот / IT InfoArt Stars (ロシア語)
  95. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では1915年1月13日に当たる。
  96. ^ a b c d e f g h i Краткая хронология боевых действий Балтийского флота в период с августа 1914 г. по октябрь 1917 г. (1915 год) - Российский Императорский флот / IT InfoArt Stars (ロシア語)
  97. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では1915年1月14日に当たる。
  98. ^ Заградительная операция 31 декабря 1914 года - 1 января 1915 года - Российский Императорский флот / IT InfoArt Stars (ロシア語)
  99. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では1915年2月12日に当たる。
  100. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では2月13日に当たる。
  101. ^ ゴットランド島北部、フォリョ島の燈台。
  102. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では2月14日に当たる。
  103. ^ Заградительная операция 1 февраля 1915 года - Российский Императорский флот / IT InfoArt Stars (ロシア語)
  104. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では2月3日に当たる。
  105. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では5月20日に当たる。
  106. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では5月27日に当たる。
  107. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では7月1日に当たる。
  108. ^ Pierwsza wojna światowa na Bałtyku. Gdańsk: Wydawnictwo Morskie. pp. s. 159. ISBN 8321532349 (ポーランド語)
  109. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では7月2日に当たる。
  110. ^ «Флот в мировой вой­не» — М., 1964, с. 173 (ロシア語)
  111. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では7月31日に当たる。
  112. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では11月10日から12日に当たる。
  113. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では12月4日から7日に当たる。
  114. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では1916年1月13日に当たる。
  115. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では6月10日から14日に当たる。
  116. ^ 4000 t。105 mm砲4 門。
  117. ^ Краткая хронология боевых действий Балтийского флота в период с августа 1914 г. по октябрь 1917 г. (1916 год) - Российский Императорский флот / IT InfoArt Stars (ロシア語)
  118. ^ 当時ロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では11月19日に当たる。
  119. ^ Р.М. Мельников. Броненосные крейсера типа «Адмирал Макаров» (1906-1925). — «Корабли и сражения», Ленинград-Санкт-Петербург, 1980-2006. 19. Дни крушения (ロシア語)
  120. ^ 当時使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では11月7日に当たる。
  121. ^ 当時のボリシェヴィキが使用していたユリウス暦による。グレゴリオ暦では2月11日に相当する。
  122. ^ 元の砕氷船ツァーリ・ミハイル・フョードロヴィチ。
  123. ^ のち「先端」要塞、「赤衛軍」要塞。
  124. ^ 「B」要塞。のち「赤軍」要塞
  125. ^ のち「5月1日」要塞。
  126. ^ Р.М. Мельников. Броненосные крейсера типа «Адмирал Макаров» (1906-1925). — «Корабли и сражения», Ленинград-Санкт-Петербург, 1980-2006. Послеловие (ロシア語)
  127. ^ 1924年の退役後ではなく、1923年解体とする記述も見られる。艦は段階的に解体されているので1923年時点ですでに解体段階に入っていた可能性はあるが、写真の日付が正しければ、1925年の時点でまだ解体作業は終わっていない模様。
  128. ^ С.Е. Виноградов, А.Д. Федечкин. «Рюрик» — флагман Балтийского флота. — Москва, 2003. Приложение 1. Судьба артиллерии «Рюрика» (ロシア語)


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