新年の機雷敷設作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 14:50 UTC 版)
「リューリク (装甲巡洋艦・2代)」の記事における「新年の機雷敷設作戦」の解説
1914年12月31日 には、第1巡洋艦戦隊のリューリク、アドミラール・マカーロフ、バヤーンは機雷敷設を行う第2巡洋艦戦隊 の巡洋艦オレーク、ボガトィーリを護衛し、ボーンホルム島に向けて出撃した。同時期、第2巡洋艦戦隊旗艦の装甲巡洋艦ロシアはキール湾からメクレンブルク湾にかけてのドイツ航路への機雷敷設任務を遂行したが、1915年1月1日 には、オーボ多島海から500 海里近くの航路でロシアはドイツの哨戒線に接近した。リューリク、アドミラール・マカーロフ、バヤーンの3 隻はこれを掩護し、ロシアから15 海里後ろに続いた。 ロシアは、ボーンホルム島を越えてリューゲン島・アルコナ岬北方へ向かって10 海里に渡って100 個の機雷を敷設した。さらに、機雷敷設を隠すために、海域調査を妨害するための偽の潜水艦の潜望鏡を投下した。ボーンホルム島東方において、ロシアは同海域にてさらに100 個ずつの機雷を敷設したボガトィーリとオレークと合流した。11日後、これらの機雷を発見できなかったドイツの小型巡洋艦アウクスブルクとガツェレが触雷し、損傷を負った。特に、後者の受けた損傷は重大で、ガツェレはその後二度と現役に復帰することはできなかった。 この作戦では、併せて196 個の機雷がアルコナ岬に、100 個の機雷がキール湾に敷設された。
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