新年の火を迎える祭り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 09:54 UTC 版)
御燈祭は、毎年2月6日に行われるが、もとは旧暦の正月6日に行われていた(『紀伊続風土記』)。古くは、祭礼で分けられた火が届くまで、各家で灯明を挙げることが禁じられていたことから、新年における「火の更新」を意味する祭りである。 祭りの起源について、『熊野年代記』は、敏達天皇3年正月2日条に「神倉光明放」、同4年正月6日条に「神倉火祭始」と記すが、当地の伝承は神武東征神話に起源を求め、高倉下命が松明をかかげて神武を熊野の地に迎え入れたことが始まりであるとしている。江戸時代には、現行の祭礼とほぼ同じものが確立したものと見られ、正月6日の開帳にあわせて行われたとある。伝来の古文書『社法格式』が記すところによれば、正月6日の祭礼の後、8日に修正会が行われたとある。このことから、御燈祭とは、新年を迎えるにあたって行われた、神倉聖による火の更新を意味すると考えられている。『熊野年代記』の伝える神話にもあるように、神倉は、一年間の生活を支える火を産出、操作、そして浄化する修験者たる神倉聖の拠点であり、浄化された火が人々に与えられる儀礼を意味しているのである。 また、祭礼の動線、とくに神職ら一行の奉幣が神倉神社から阿須賀神社、最後に熊野速玉大社と、「熊野権現御垂迹縁起」(『長寛勘文』所収)等に見られる熊野権現の縁起譚が伝える垂迹と遷座の過程に沿っている点も注目されるべき点である。
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