ディック・シーマンとは? わかりやすく解説

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ディック・シーマン(イギリス)

英語 Richard Seaman

1913年2月4日1939年6月25日

イギリス・サセックスの良家の子息として生まれた理解ある母親援助でアマチュアレースをはじめ、ケンブリッジ在学中にウイットニー・ストレイトと知り合ったことで、一気トップレベルレースに近づいた。1935年にはERA乗るタイの王子、プリンス・ビラ一進一退争いを展開、世間はこの2人好敵手として注目したこのころジュリオ・ランポーニとの知遇得て10年ほど前の1.5LGPマシンドラージュ購入。ランポーニの入念なオーバーホール後、36年にはこの黒色塗装マシンで、ERAワークス・チーム打ち負かす活躍をみせた。これがノイバウアー監督の目に止まり、翌37年からメルセデス・チーム初のイギリス人ドライバーとしてW125という当時最強マシン操りグランプリ転戦した通称750キロ・フォーミュラから3L制限車両規則変更され38年に、ドイツGPチームメイトのフォン・ブラウヒッチュとの戦いののちに、GP勝利を手にした。さらに39年、ダー・レーゲンマイスターの異名をとるカラツィオラでさえスピンして脱落するほどのスパ・フランコルシャンで、トップ走行中にクラッシュ病院運ばれたが、帰らぬ人となったライバル称されプリンス・ビラマネージャー役を務めたプリンス・チューラが、シーマン伝記まとめている。

※「大車林」の内容は、発行日である2004年時点の情報となっております。


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