サプフィル-21
(RP-9 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/07 10:03 UTC 版)
|
|
種別 | 火器管制レーダー |
---|---|
開発・運用史 | |
開発国 | ![]() |
就役年 | 1960年 |
送信機 | |
周波数 | Kuバンド(12.88-13.2 GHz) |
パルス繰返数 |
|
アンテナ | |
形式 | カセグレンアンテナ |
方位角 | +/- 30度 |
仰俯角 | +/- 10度 |
探知性能 | |
探知距離 |
サプフィル-21(ロシア語: Сапфир-21)は、ソビエト連邦の第339試作工場(後のファゾトロン)がMiG-21戦闘機用に開発した火器管制レーダー[1][2]。
設計
ソ連では1957年よりMiG-21戦闘機へのレーダー搭載について検討しており、1958年8月には空力試験機としてのYe-7/1号機、また1960年1月18日にはレーダー搭載のYe-7/2号機が初飛行し、1962年からはこれをもとにした実用機であるMiG-21PFの生産が開始された[1]。そして同機で搭載されたのがサプフィル-21であった[1]。
サプフィル-21は、第339試作工場のボルコフが率いるチームによって開発された[1]。工場側の名称はTsD-30T、仮制式名はRP-9-21と称されており[注 1]、採用にあたりRP-21の制式名称が付された[1][2][4]。動作周波数はKuバンド(12.88-13.2 GHz)で、レーダー反射断面積(RCS)16平方メートルの目標を20 kmの距離で捕捉し、10 kmで追尾を開始することができるとされている[2]。アンテナはカセグレン方式で[2]、MiG-21の小さなショックコーンに収容する必要から、作動範囲は左右にそれぞれ30度、上下にそれぞれ10度と限定されている[1]。
1964年より生産を開始したMiG-21PFMでは指令誘導に対応した改良型のRP-21Mが搭載されて、RS-2U (K-5M) 空対空ミサイルやKh-23空対地ミサイルの運用も可能になった[1]。また1965年より生産を開始したMiG-21Sで搭載された能力向上型にはRP-22の制式名称が付され[5]、NATOコードネームは「ジェイ・バード」とされた[2]。RCS 16平方メートルの目標を30 kmの距離で探知し、15 kmで追尾を開始することができるとされている[2]。
MiG-21PFと-21PFMの中間的な輸出モデルとして開発された-21FLでは、簡易型のR-2L(NATOコードネーム「スピン・スキャン」)が搭載された[1][2]。またMiG-21Sの系譜に属する輸出モデルであるMiG-21Mでは、レーダーはRP-22よりも旧式のRP-21MAが搭載されて、やはりダウングレードが図られた[5]。ただし輸出モデルでも、MiG-21MFではRP-22の搭載が解禁されている[5]。
サブタイプと搭載機
- RP-21
- MiG-21PF
- RP-21M
- MiG-21PFM
- RP-21MA
- MiG-21M
- RP-22
- MiG-21S
- MiG-21SM
- MiG-21MF
- MiG-21SMT
- MiG-21bis
- MiG-23S
脚注
注釈
出典
参考文献
- 石川潤一「MiG-21の開発と各型」『航空ファン』、文林堂、50-61頁、2024年8月。CRID 1520863871417981696。
- Gordon, Yefim 著、藤田勝啓 訳「MiG-21の開発と各型」『MiG-21フィッシュベッド』文林堂〈世界の傑作機〉、2020年(原著1999年)、26-41頁。 ISBN 978-4893193018。
- Gordon, Yefim; Komissarov, Dmitriy (2020), Sukhoi Interceptors - The Su-9, Su-11, and Su-15: Unsung Soviet Cold War Heroes, Schiffer + ORM, ISBN 9781507301760
- Streetly, Martin (2005), Jane's Radar and Electronic Warfare Systems (17th ed.), Janes Information Group, ISBN 978-0710627049
関連項目
- AN/APQ-153 - アメリカの同規模機。本機より後発な分だけ優れた性能を備えており、F-5E戦闘機に搭載された。
RP-9
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/31 08:57 UTC 版)
TsD-30には、ピョートル・グルーシン(ロシア語版)の率いる航空産業省(MAP)(ロシア語版)第2設計局(OKB-2)(ロシア語版)で開発されたK-5空対空ミサイルの運用能力が確保されていた。また、TsD-30は「ヴォーズドゥフ-1」(«Во́здух-1»)自動誘導装置を搭載し、この装置は低高度目標への攻撃能力を大幅に高める役割を担った。 発信部と受信部を統合するシステムが開発され、このレーダー・ステーションの寸法はT-43の可動式ノーズコーンに無理なく収納できるものとなった。この派生型のおかげで、1957年までにソ連で制式武装に採用された空対空誘導ミサイルは唯一K-5だけであると言われた。その後、改良型のK-5Mや1957年10月にMiG-19PMにおける検査試験を成功裏に完了したK-5MSがTsD-30の主要運用兵装とされた。のちに、K-5はRS-1U、K-5MはRS-2U、K-5MSはRS-2USとして、それぞれ制式化された。 NATO からは、AA-1 アルカリというコードネームが付与された。 1960年10月、Su-9がソ連防空軍に制式採用されるのに伴って、搭載されるTsD-30T(ЦД-30Т)はRP-9U(РП-9У)として制式化された。また、のちには改良型のTsD-30TP(ЦД-30ТП)がRP-9UK(РП-9УК)として制式化された。
※この「RP-9」の解説は、「TsD-30」の解説の一部です。
「RP-9」を含む「TsD-30」の記事については、「TsD-30」の概要を参照ください。
- RP-9のページへのリンク