R-2ミサイルのライセンス生産
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「DF-2 (ミサイル)」の記事における「R-2ミサイルのライセンス生産」の解説
1956年5月26日、中国は弾道ミサイル開発計画を始動し、開発の主体となる組織、第五研究院(現、中国航天科技集団公司)を国防部の下に創設した。 1957年10月15日、中国はソビエト連邦と中ソ新防衛技術協定を結び、2発のR-2ミサイルと共に、教官として1個弾道ミサイル大隊の軍人とミサイル発射の為の装備が12月24日に北京に到着した。 1958年4月14日、中ソ関係悪化の為、ソ連の部隊は全員帰国した。その後、ソ連から設計図および生産、試験、発射の為の技術書類を受け取り、ソ連人ミサイル技術者の指導を受け、R-2ミサイルのライセンス生産を開始した。生産は1964年に終了し、当初「1059」と名付けられたこのライセンス生産品は、「DF-1(東風1号)」と名称変更した。中国は、1059のライセンス生産と並行して原子爆弾の開発計画を進め、1964年10月16日に最初の爆発実験を実施した。中国は原子爆弾の技術と弾道ミサイル技術を組合せた核弾頭搭載型弾道ミサイルの開発に注意を傾けるようになる。しかしR-2やそのライセンス生産品DF-1は、射程が590kmと短く日本の米軍基地に届かないばかりでなく、運搬能力が950kgと原子爆弾を搭載するには小さすぎた。このため第五研究院は1958年9月19日に「東風計画」という新たな弾道ミサイルの開発計画を提案した。
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