Pepin of Herstalとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > Pepin of Herstalの意味・解説 

ピピン2世

(Pepin of Herstal から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/11 04:27 UTC 版)

ピピン2世
Pippin II.
アウストラシア宮宰
ネウストリア宮宰
クロヴィス3世とピピン2世(右)
在位 アウストラシア宮宰680年 - 714年
ネウストリア宮宰688年 - 695年

出生 635/40年
死去 714年12月16日
配偶者 プレクトルード
子女 ドロゴ
グリモアルド2世
カール・マルテル(庶子)
家名 カロリング家
父親 アンゼギゼル
母親 ベッガドイツ語版
テンプレートを表示

ピピン2世ドイツ語Pippin der Mittlere, 635/40年 - 714年12月16日)は、フランク王国宮宰(在職:680年 - 714年)。「中ピピン」とも呼ばれる。ピピン1世(大ピピン)の娘ベッガドイツ語版とその夫アンゼギゼル(メッス司教アルヌルフの子)の子[1]

生涯

メロヴィング朝フランク王テウデリク3世は彼を排除しようとしたが失敗に終わり、以後ピピンはアウストラシアの事実上の統治者となり、ほかのフランク族たちへの影響力も維持し続けた[2]。またこのころにはアウストラシア宮宰職はピピンの一族による世襲化が定着した[3]

670年頃、ピピンはモーゼルの地主の一族出身のプレクトルードと結婚し[4]、息子のドロゴ、グリモアルド2世をもうけた。687年、テルトリーの戦いでネウストリア軍に勝利し、以後、ピピンはアウストラシア、ネウストリア、ブルグントの宮宰を兼ね[5]、徐々にフランク族の宮廷内での権勢を増していった。700年頃にネウストリア宮宰の地位を次男グリモアルド2世に譲った[6]714年にピピンが死去した時、二人の息子はすでに死去していたが、グリモアルド2世の子テウドアルドは自らが正統な後継者であるとしてプレクトルードの援助のもと[7]宮宰職を要求した。しかし側室アルパイダ(カルパイダ)との間に生まれた庶子のカール・マルテルは、軍事的才能と戦利品を気前よく配ったことによりアウストラシアの支持を得た。結果、プレクトルードの努力にも拘らず、カール・マルテルがアウストラシア宮宰およびフランク王国の事実上の支配者となった[6]

子女

正妻プレクトルードとの間には二男をもうけた。

  • ドロゴ - シャンパーニュ大公、ネウストリア宮宰ベルカリウスの未亡人(ネウストリア宮宰ワラトーの娘)と結婚[6]。息子ユーグはサン=ドニ修道院長および、パリ、ルーアンなどの司教となった[8]
  • グリモアルド2世(? - 714年) - フリース人の王ラドボードの娘テウテシンダと結婚[9]。息子テウドアルドはピピン2世の死後、6歳でプレクトルードにより後継者に選ばれたが叔父カール・マルテルに敗れた。

側室アルパイダとの間に庶子をもうけた。

脚注

  1. ^ 佐藤、p. 8
  2. ^ 成瀬 他、p. 62
  3. ^ 柴田 他、p. 151
  4. ^ 佐藤、p. 10
  5. ^ 佐藤、p. 7
  6. ^ a b c 瀬原、p. 11
  7. ^ 柴田 他、p. 154
  8. ^ 柴田 他、p. 156
  9. ^ 佐藤、p. 12

参考文献

  • 佐藤彰一 『世界史リブレット人29 カール大帝』 山川出版社、2013年
  • 柴田三千雄 他 『世界歴史大系 フランス史 1』 山川出版社、1995年
  • 成瀬治 他 『世界歴史大系 ドイツ史 1』山川出版社、1997年

関連項目

先代
ウルフォアルド
アウストラシア宮宰
680年 - 714年
次代
テウドアルド
先代
ベルカリウス
ネウストリア宮宰
688年 - 695年
次代
グリモアルド2世

「Pepin of Herstal」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

Pepin of Herstalのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Pepin of Herstalのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのピピン2世 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS