N線の"発見"
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 03:46 UTC 版)
1903年、ナンシー大学に籍を置く優秀な物理学者であったブロンロは、X線の偏光を観測するため放電管とスパーク・ギャップを並列につないだ装置で実験をしている最中に、スパーク・ギャップの電気火花の明るさが変化することに気がついた。彼はこれを新しい放射線によるものだと考え、スパーク・ギャップと写真乾板を組み合わせた実験装置を作って火花の変化を写真に記録し、この放射線をナンシー大学にあやかり「N線」と名付けた。 ブロンロが報告したこの現象は、オーギュスタン・シャルパンティエ(英語版)など多くの科学者による追試でも確認され、多くの論文が発表された。また「N線」はX線源だけでなく、ガス・マントル、熱した鉄板や銀板、人体の神経組織、植物や発酵中の有機物など、多くの物質からも放出されることが"発見"された。なお、物理学者のギュスターヴ・ル・ボンやP・オドレー(P. Audollet)などがN線やその効果の発見の先取権を申し立てたが、いずれも退けられた。 ブロンロは1904年にフランス科学アカデミーから彼の研究全体を称えられ、ル・コント賞(英語版)を授与された。N線は"発見"された1903年から1906年に至るまでの3年間に100人以上の科学者が300編もの論文で取り上げるほどになった。
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