MuseとAtlas
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 14:07 UTC 版)
「マンチェスター・コンピュータ」の記事における「MuseとAtlas」の解説
詳細は「Atlas (コンピュータ)」を参照 マンチェスター大学は1956年に「マイクロセカンドエンジン」を意味するMUSEの開発を始めた。1µsに1命令、1秒間に100万命令を実行できるコンピュータを製作することが目標だった。マイクロ(Muまたはµ)は国際単位系(SI)の接頭語で、10-6 (百万分の1)を表す。 フェランティは1958年の終わりにマンチェスター大学のプロジェクトに協力することで同意し、その直後にコンピュータの名前をAtlasに変更し、この産学連携事業をトム・キルバーンが監督することになった。Atlasの第1号機は1962年12月7日に正式に納入され、IBM 7094の4倍の性能があり、当時は世界一の性能を持つコンピュータと言われた。Atlasが停止するとイギリスのコンピュータ総演算能力が半分になると言われた。最も高速な命令は1.59µsで処理され、仮想メモリとページング(スワップ)により各ユーザーが最大100万ワードのメモリを同時に利用できるようになった。Atlasのハードウェアとソフトウェアが導入した様々な新しいコンセプトは今日では広く使われており、中でもOSのAtlas Supervisorは現代の概念で言う所のOSとして最初のOSだとされている。 Altasは他にも2台が製造された。1台はブリティッシュペトロリアムとロンドン大学が共同で使用し、もう1台はオックスフォード近くのチルトンにあるアトラスコンピュータ研究所に設置された。またフェランティはメモリ構成が異なる改良版のTitan(Atlas 2)をケンブリッジ大学に納入しており、ケンブリッジ大学コンピュータ研究所が開発したタイムシェアリングOSが動作した。 マンチェスター大学のAtlasは1971年に運用を終えたが、1974年まで動いていた。チルトンで動いていたAtlasのパーツはエディンバラのスコットランド国立博物館に残されている。
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