MLB移籍断念と来日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 05:58 UTC 版)
「李承燁 (野球)」の記事における「MLB移籍断念と来日」の解説
2003年オフにFA権を行使。以前からメジャーリーグ志向を明らかにしていたため、韓国のマスコミやファンの間ではメジャーに移籍することは前提となっており、どこに入団するかが語られていたほどで、本人も「希望はDHのあるア・リーグ」「松井秀喜を2年以内にあらゆる面で超えてみせる」と語った。しかし、届いたオファーはシアトル・マリナーズ、ロサンゼルス・ドジャースからのマイナー契約のみで、メジャー契約を提示する球団は現れなかった。これは韓国球界そのものへの評価の低さや、56本塁打を放ったものの、李の所属していた三星の本拠地である大邱市民運動場野球場は韓国でも指折りの狭さの上にラッキーゾーンも存在していたことなどから、個人記録に対する認識、メジャーリーグが外部に求める人材(一塁しか守れないため、起用法が限定される選手をリスクを犯してまで獲得しない)も影響していたとされている。 李は「最悪の場合、日本で1年間プレーすることも考えている」とメジャー球団からのオファーがない場合でもメジャーを目指すため、韓国を離れて日本に移籍することも示唆。結局、メジャー移籍を断念し、日本の千葉ロッテマリーンズと12月10日に2年契約を結んだ。背番号は三星時代と同じ36。李はロッテの入団会見で日本球界を選んだことについて「2年間在籍すれば無条件でメジャーリーグ行きをバックアップするという条件に心が惹かれた」と語った。
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