MF204誕生から供給の中断
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/18 22:33 UTC 版)
「無限・MF204」の記事における「MF204誕生から供給の中断」の解説
1988年の全日本F3選手権にはホンダのワークスエンジンとして中谷明彦をドライバーに起用し、参戦初年でチャンピオンエンジンとなった。1989年、1990年もチャンピオンエンジンとなり、他のエンジンを使用しているドライバーからも「無限エンジンでないとチャンピオン争いが出来ない」と言われる程に完成度が高いエンジンでもあった。また1988年からイギリスF3にも供給を行い、参戦初年度からタイトル争いに加わるエンジンとなり1990年にミカ・ハッキネンによりチャンピオンエンジンとなった。その後はトムスのチューニングするエンジンとタイトルを分け合う形で戦いが繰り広げられた。 「MF204B」登場から10年以上経過した2003年の全日本F3選手権から「MF204C」がデビュー。イギリスでは「MF204B」が引き続き供給された。全日本では主に童夢がMF204Cを使用し、当時童夢がローラと共同開発していたシャシーとの組み合わせで、主なライバルであるトムスやINGING(どちらもトヨタ陣営)らと戦ったが、結局このエンジンでのタイトル獲得は叶わなかった。 2007年をもって無限によるエンジン供給が終了し、以後全日本では戸田レーシング、イギリスではニール・ブラウン・エンジニアリングによってチューニングおよび供給が行われた。しかし、主なライバル(全日本ではトヨタ・1AZ-FE、イギリスではメルセデス・ベンツとフォルクスワーゲン)に比べ戦闘力が見劣りする状況は否めず、全日本では2010年に戸田レーシングが撤退したためMF204はその姿を一旦消した。 イギリスF3でも年式落ちシャシーで争われる「ナショナルクラス」ではMF204Bがワンメイクエンジンとして使われているが、チャンピオンシップクラスでは既に少数派に転落しており事実上勝負権を失っている。
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