MF308誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 18:18 UTC 版)
全日本F2選手権時代、ハートやBMWエンジンに圧勝していたホンダはエンジン供給枠を少数に制限していた。これに対してヤマハは希望者全てにエンジンを供給していたため、ホンダは非難を受けることもあった。この時の反省から全日本選手権がF2からF3000へ移行するのを受けて「ホンダ・RA387E」を「日本のコスワースを目指したい」としていた無限に委ねる。多くのユーザーへの供給を前提とした設計変更を受けてはいたが、仕様はRA387Eとほぼ同一とされた「無限・MF308」が誕生する。 1988年、全日本F3000選手権へ供給が開始され、開幕戦で星野一義のドライブによりデビューウィンを飾る。この年の戦績は全8戦中5勝。 1989年からは国際F3000選手権にも供給され、EJRのジャン・アレジによってチャンピオンエンジンになった。 国際F3000では1990年もDAMSのエリック・コマスがチャンピオンを獲得したほか、ランキングトップ10のうち8人がMF308エンジンを使用していた。1991年はクリスチャン・フィッティパルディをチャンピオンにさせた。1992年シーズン終了をもって国際F3000から撤退する。
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