Jリーグ選手時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/17 15:40 UTC 版)
1997年にベルマーレ平塚に加入。プロ入り当時は長身を生かしたヘディングを武器にフォワードとして活躍。1997年5月10日Jリーグ1stステージ第8節ベルマーレ平塚対サンフレッチェ広島がプロデビュー戦。この試合で初ゴールを決め、かつVゴールでチームに勝利をもたらした。1999年、チームの親会社撤退による経営縮小を迫られ、主力選手を放出する中、開幕前はDFにコンバートされチームを引っ張る。J1残留争いに苦しむチームは、終盤再び外池をストライカーに指名した。 2000年、横浜F・マリノスに移籍。2001年8月からは期限付き移籍で大宮アルディージャでプレー。2002年は横浜FMに復帰。所属中期にはレギュラーとして活躍するも、低迷するチームの変換期に差し掛かり、2002年シーズン終了後に戦力外通告を受ける。 2003年、ヴァンフォーレ甲府にトライアウトの末入団。ヴァンフォーレ甲府では、身体能力の高さと豊富な経験を買われてボランチにコンバートされ、レギュラーの座を勝ち取る。特にシーズン前半ではチームの強い牽引力となった。 2004年、サンフレッチェ広島に移籍。 2005年、モンテディオ山形に移籍。 2006年、湘南ベルマーレに復帰。副キャプテンを任され、同年5月3日のヴィッセル神戸戦では復帰初ゴールを記録した。2007年は背番号をデビュー時の19に戻し、ポジションも自ら志願して再びフォワードに変更。また、選手会長に選任される。同年11月25日、ホーム最終戦で選手会長としての挨拶の後、涙ながらに自身の引退を発表。監督の菅野将晃など、ごく一部の関係者以外には極秘にされていた。
※この「Jリーグ選手時代」の解説は、「外池大亮」の解説の一部です。
「Jリーグ選手時代」を含む「外池大亮」の記事については、「外池大亮」の概要を参照ください。
- Jリーグ選手時代のページへのリンク