Jリーグ開幕以降
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読売・ヴェルディ一筋にプレーを続けた戸塚だが、1993年のJリーグ開幕時はオランダ路線で、また若手が積極的起用され、更に三浦知良ら現役代表選手を多数擁するクラブの中での出場機会は限られた。横浜マリノスとの開幕戦はベンチ入りしたが、出場機会は訪れなかった。同年6月9日の1stステージ第8節の名古屋グランパスエイト戦で途中出場から Jリーグ初得点を決めたが、チャンピオンシップの鹿島アントラーズ戦の第2戦ではベンチ入り、チームは優勝を果たしたが、この試合でも出場機会は得られなかった。そして1994年に出場機会を求め、当時JFLに在籍した柏レイソルに期限付き移籍、その年のJリーグ昇格に貢献した。同年8月7日にはJFLオールスターゲームに先発出場、ピッコリのゴールをアシストした。その後、1996年に栃木県社会人サッカーリーグのワールドブリッツ小山に移籍。監督兼任でプレーし、天皇杯の栃木県代表へと導いた。
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