Jリーグ参加構想と断念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 09:02 UTC 版)
「大塚製薬サッカー部」の記事における「Jリーグ参加構想と断念」の解説
1993年9月、徳島県に四国から初めてのJリーグチームを誘致するために民間の有志が市民団体を結成し、徳島県サッカー協会が主体となって約24万人の署名を集めた。1993年12月、市民団体や県サッカー協会、徳島県、徳島市、鳴門市から構成される誘致検討委員会が発足し、プロクラブのホームスタジアムとして名西郡石井町の県所有地に徳島県営のサッカー・ラグビー専用競技場を新規に建設するとの検討結果を決定した。 1994年3月、徳島県と石井町、大塚製薬は大塚製薬サッカー部を母体としてプロクラブを発足させることで合意し、5月に出資・協賛金を集めるための推進協議会が設置された。 徳島の新チーム計画でも年間運営費20億円以上、補填が必要な赤字額は年6-7億円と見込まれていた。この多額の出費に対する疑問が生まれ始め、大塚製薬元会長・大塚正士の強硬な反対が決め手となって、同年9月13日に準会員申請を断念。推進協議会も運営会社の設立を断念した。また、上記のスタジアムの建設構想も立ち消えとなった。しかし、この結果が、大塚の地獄の始まりであった。
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