F1世界選手権におけるセナとプロストの確執
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「紳士協定」の記事における「F1世界選手権におけるセナとプロストの確執」の解説
F1世界選手権、1989年シーズンの出来事である。シーズン第2戦サンマリノGPでアイルトン・セナは「オープニングラップの1コーナーを制した者が優勝の権利を有し、それ以降は追越しをしない」という、当時のチームメイトアラン・プロストとの紳士協定を破り、ゲルハルト・ベルガーのタンブレロ・コーナーへの激突事故が原因の赤旗中断による再スタート後の一周目、セナはトサ・コーナーでプロストが開けていたイン側に飛び込み、抜き去っていった。 問題の発端は双方の解釈の違いにあると言われ、セナはトサ・コーナーを、プロストはタンブレロ・コーナーをそれぞれ「1コーナー」として主張。この協定を知らなかったチーム代表ロン・デニスが仲介に入り、セナが一応非を認め謝罪した形で決着がついたはずであった。 ところが、プロストが「和解時の話し合いの内容を口外しない」という紳士協定を破り、セナの不誠実さに対する非難を交えながら、仏紙レキップの記者にリークし再燃した。 この一連の出来事で、2人の溝は決定的なものとなった。2人の所属するマクラーレンチームもこの状況に苦心しつつも許容していたが、プロストはこの年を以てチームを離れることを決意。それでも、デニスが説得を試みたが、イタリアGPでの出来事によりプロストに対しチームは見切りをつける結果となった。また、エンジンサプライヤーのホンダも、前年の日本GPでの対応など、プロストの不信感を拭う努力をしていたが、度重なるエンジン待遇差別発言を受け、両者の関係が悪化。結果的に所属チームを敵に回してしまい、プロストもチームを去らざるを得ない状況を作ってしまった面もあった。 詳細は「アイルトン・セナ#マクラーレン時代」および「アラン・プロスト#マクラーレン時代(第2期)」を参照
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