シャテルロー公爵
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/03/22 17:04 UTC 版)
シャテルロー公爵(Duc de Châtellerault)は、フランスの貴族に授けられた公爵位の1つ。シャテルロー(現在のポワトゥー=シャラント地域圏ヴィエンヌ県の都市)に由来する。歴史的経緯から、何度かスコットランドの貴族に授けられたことがある。
この爵位は1515年、モンパンシエ伯ジルベールの三男フランソワ・ド・ブルボン=モンパンシエ(1492年 - 1515年)に同輩公(Pairie de France)の公爵位として授けられたことで初めて創設された。しかしフランソワはその年のうちに亡くなり、爵位はその次兄のシャルルが継承した。シャルルはシュザンヌ・ド・ブルボンとの結婚を通じてブルボン公爵およびオーヴェルニュ公爵を兼ね、フランス軍総司令官(Connétable de France)の称号も有したが、主君であるフランソワ1世王を裏切って神聖ローマ皇帝カール5世と同盟を結んだため、1527年にシャテルロー公爵位を含む全ての称号を剥奪された。
シャテルロー公爵位はブルボン公爵位とともにフランソワ1世王の母ルイーズ・ド・サヴォワに授けられたが、1530年にはブルボン公爵領に付属する所領はブルボン家傍系のラ・ロッシュ=シュル=ヨン公ルイ3世(後にモンパンシエ公爵)に譲渡された。しかし同年、ブルボン公爵位のみが再び王母ルイーズに授けられ、彼女は1532年に死ぬまで2つの公爵位を保った。
フランソワ1世は1540年に三男のシャルルにオルレアン公爵位、アングレーム公爵位とともにシャテルロー公爵を授けたが、シャルル王子は1545年に早世したため、シャテルロー公爵位は廃された。
1548年、アンリ2世王は同年に結ばれたシャティヨン条約に基づき、ドーファン(後のフランソワ2世王)とスコットランド女王メアリー(マリー・デコス)との婚約を実現させたスコットランド摂政の第2代アラン伯爵にシャテルロー公爵位を授けた。しかしアラン伯は1559年にフランス王妃となっていたメアリー女王と敵対したため、シャテルロー公爵位を剥奪された。
アンリ2世は1563年、愛妾フィリッパ・ドゥーチとの間にもうけた庶出の娘ディアーヌ・ド・フランスにシャテルロー公爵位を与えたが、ディアーヌは1582年にシャテルロー公爵位を放棄し、代わりに異母弟のアンリ3世王よりアングレーム公爵位を受けた。
翌1583年、シャテルロー公爵位はモンパンシエ公フランソワ(前述のモンパンシエ公ルイ3世の息子)に与えられた。この爵位継承はフランソワの曾孫にあたる「ラ・グランド・マドモワゼル(La Grande Madomiselle)」ことアンヌ・マリー・ルイーズ・ドルレアンが1693年に死去すると同時に廃された。シャテルローの所領のみはルイ14世王の弟であるオルレアン公フィリップ1世が相続した。
1720年代、オルレアン公爵家はシャテルローの所領をタルモント公フレデリック・ギヨーム・ド・ラ・トレモイユ(Frédéric Guillaume de la Trémouille, Prince de Talmont)に売却した。その息子のアンヌ・シャルル・フレデリック(Anne Charles Frédéric de La Trémouille, Prince de Talmont)は1730年にシャテルロー公爵に叙せられた。アンヌは1759年に子供の無いまま死去し、公爵位も廃された。シャテルローの所領のみはラ・トレモイユ家の遠縁の親族に相続された。
第二帝政期の1864年、皇帝ナポレオン3世は1548年のハミルトン家に対するシャテルロー公爵の叙爵を復活させることを決めた。公爵位の相続者は、1548年の国王勅許状に明記された相続順に従えば第14代ダービー伯爵であり、また第2代アラン伯爵の男系直系の嫡流であれば初代アバコーン公爵であった。しかしナポレオン3世がシャテルロー公爵に叙したのはこの両者のいずれでもなく、第2代アラン伯の女系子孫の1人である第12代ハミルトン公爵だった。これはハミルトン公爵の母方の祖母であるバーデン大公妃ステファニー・ド・ボアルネがナポレオン3世の遠縁にあたることが重視された叙爵であった。第12代ハミルトン公爵は1895年に男子の無いまま死去し、ハミルトン公爵家にナポレオン3世と縁戚関係のある男子はいなくなった。
その後、ハミルトン公爵家の当主とアバコーン公爵家の当主の双方がフランスにおける爵位としてシャテルロー公爵を自称したものの、これらの爵位請求に法的な正当性は認められなかった。
目次 |
第1次創設(1515年)
- フランソワ・ド・ブルボン=モンパンシエ(1492年 - 1515年) - 初代シャテルロー公爵
- シャルル・ド・ブルボン=モンパンシエ(1490年 - 1527年) - 第2代シャテルロー公爵、1527年に称号剥奪
第2次、第3次創設(1527年、1530年)
- ルイーズ・ド・サヴォワ(1476年 - 1532年)
第4次創設(1540年)
- シャルル・ド・フランス(1522年 - 1545年)
第5次創設(1548年)
- ジェイムズ・ハミルトン(1515年 - 1575年) - 初代シャテルロー公爵、1559年に称号剥奪
第6次創設(1563年)
- ディアーヌ・ド・フランス(1538年 - 1619年) - 1582年、アングレーム公爵位と交換に放棄
第7次創設(1583年)
- フランソワ・ド・ブルボン=モンパンシエ(1542年 - 1592年) - 初代シャテルロー公爵
- アンリ・ド・ブルボン=モンパンシエ(1573年 - 1608年) - 第2代シャテルロー公爵
- マリー・ド・ブルボン=モンパンシエ(1605年 - 1627年) - 第3代シャテルロー公爵夫人
- アンヌ・マリー・ルイーズ・ドルレアン(1627年 - 1693年) - 第4代シャテルロー公爵夫人
- オルレアン家が称号を形式的に継承
第8次創設(1730年)
- アンヌ・シャルル・フレデリック・ド・ラ・トレモイユ(1711年 - 1759年)
第5次創設(1864年)、称号回復
- ウィリアム・ダグラス=ハミルトン - 第2代シャテルロー公爵
外部リンク
「Duke of Châtellerault」の例文・使い方・用例・文例
- Microsoftがβ版をランチするのは「NetShow streaming server」で動画や音声をオンデマンドで提供する。
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 an admiral of the fleet 海軍元帥.
- 篏入的 r 音 《英音の India office /ndiərfɪs/の /r/の音》.
- =《口語》 These kind of stamps are rare. この種の[こういう]切手は珍しい.
- (英国の)運輸省. the Ministry of Education(, Science and Culture) (日本の)文部省.
- は of の誤植です.
- を off と誤植する.
- あいまい母音 《about, sofa などの /ə/》.
- 副詞的小詞 《on, in, out, over, off など》.
- 迂言的属格 《語尾変化によらず前置詞によって示す属格; たとえば Caesar's の代わりの of Caesar など》.
- çon of garlic [humor]. それにはガーリック[ユーモア]がちょっぴり必要だ.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Speaker of the House of Commons 下院議長.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Committee of Ways and Means 歳入委員会.
- 初めて読んだ英文小説は“The Vicar of Wakefield”
- (違法罪―a sin of commission―に対する)怠惰罪
- 『each』、『every』、『either』、『neither』、『none』が分配的、つまり集団の中の1つのものを指すのに対し、『which of the men』の『which』は分離的である
- 『hot off the press(最新情報)』は『hot(最新の)』の拡張感覚を示している
- 『Each made a list of the books that had influenced him』における制限節は、リストに載った本を制限節で定義された特定の本だけに制限する
- 臨床的鬱病を治療するのに用いられる三環系抗鬱薬(商品名ImavateとTofranil)
- 『sunshine-roof』は『sunroof(サンルーフ)』に対する英国の用語である
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