デイジー・フォン・プレス
(Daisy, Princess of Pless から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 00:26 UTC 版)
デイジー・フォン・プレス Daisy von Pless |
|
---|---|
![]()
プレス侯夫人デイジー、1901年
|
|
|
|
全名 | メアリー・テレーザ・オリヴィア・コーンウォリス=ウェスト Mary Theresa Olivia Cornwallis-West |
出生 | 1873年6月23日 ルシン、ルシン城 |
死去 | 1943年6月29日(70歳没) ヴァルデンブルク |
配偶者 | プレス侯ハンス・ハインリヒ15世 |
子女 | ハンス・ハインリヒ17世 アレクサンダー ボルコ |
家名 | コーンウォリス=ウェスト家 |
父親 | ウィリアム・コーンウォリス=ウェスト |
母親 | メアリー・フィッツパトリック |


メアリー・テレーザ・オリヴィア・コーンウォリス=ウェスト(英:Mary Theresa Olivia Cornwallis-West, 1873年6月23日 - 1943年6月29日)は、イギリス出身の貴族女性、ソーシャライト。ドイツ・プロイセンのプレス侯ハンス・ハインリヒ15世の最初の妻。結婚後はデイジー・フォン・プレス(独:Daisy Fürstin von Pless, Gräfin von Hochberg, Freifrau zu Fürstenstein)と呼ばれた。美貌を謳われ、エドワード時代に最も注目を浴びた社交界の花形の1人だった。
生涯
陸軍大佐・下院議員のウィリアム・コーンウォリス=ウェスト(William Cornwallis-West, 1835年 - 1917年)と、その妻のメアリー・フィッツパトリック(Mary "Patsy" FitzPatrick, 1856年 - 1920年)の間の長女として、ウェールズ地方・デンビンシャーにあるルシン城で生まれた。父方からデラウェア伯爵家の、母方からはヘッドフォート侯爵家の血を引いていた。弟のジョージ(1874年 - 1951年)はランドルフ・チャーチル卿の未亡人ジェニー・ランドルフと結婚してウィンストン・チャーチルの継父となり、妹のコンスタンス(1876年 - 1970年)も第2代ウェストミンスター公爵の最初の夫人となった。
1891年12月8日にロンドンにおいて、シュレージエン地方の大貴族プレス侯爵家の後継ぎ息子であるハンス・ハインリヒ15世と結婚した。第一次世界大戦が始まる前、デイジーは自分の居城であるフュルステンシュタイン城(Schloss Fürstenstein, 現在はクションシュ城)とプレス城(Schloss Pless, 現在はプシュチナ城)に大勢の紳士貴顕を招いて、2つの城を国際的な社交の中心地にした。
デイジーは当時の大勢の王侯貴族や有力者と友人であり、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世もイギリス王エドワード7世も、デイジーの招待状を受ければ必ず彼女の城に赴き、厳選された招待客たちと狩猟パーティーを楽しんだ。またルーマニア王妃メアリーとその妹のヘッセン大公妃(後にロシア大公妃)ヴィクトリア・メリタとは親友で、しばしば訪問を受けた。また妹のコンスタンスをイギリス屈指の富豪ウェストミンスター公爵と縁組させたのも、デイジーの努力の結果だったとされている。
上流社交界での名声を高めたデイジーは、今度はシュレージエンの地域住民に関心を持ち、社会福祉事業や救貧事業に参加するようになった。第一次世界大戦が勃発すると、敵国イギリス出身の侯爵夫人は、フュルステンシュタイン城の女主人として社交を続けることを断念せざるを得なくなり、推進中だった社会改良事業などからも手を引いた。デイジーは働く女性や母親、障害児、シュレージエンの山岳地帯にある針工場の従業員などの状況改善を進めていた。
1914年8月に敵国人として外されるまでは、デイジーは西部戦線(つまりフランス)の野戦病院でドイツ赤十字社の従軍看護婦として働き、その後はセルビアに置かれたオーストリア=ハンガリーの野戦病院の従軍看護婦として終戦を迎えている。
1922年12月12日、デイジーはベルリンにおいて夫と離婚した。その後は慢性的な病気と社会的な孤独に苦しみ、1943年に極貧の中でヴァルデンブルク(現在のポーランド領ドルヌィ・シロンスク県ヴァウブジフ)において死去した。
子女
夫ハンス・ハインリヒ15世との間に3人の息子をもうけた。
- ハンス・ハインリヒ17世(1900年 - 1984年) - プレス侯家家長
- アレクサンダー・フリードリヒ・ヴィルヘルム・ゲオルク・コンラート・エルンスト・マクシミリアン(1905年 - 1984年) - プレス侯家家長
- ボルコ・コンラート・フリードリヒ(1910年 - 1936年)
参考文献
- W. John Koch: Daisy von Pless. Eine Entdeckung. John Koch Publishing, Edmonton Kanada 2006, ISBN 0-9731579-3-3.
外部リンク
- デイジー・フォン・プレスの著作およびデイジー・フォン・プレスを主題とする文献 - ドイツ国立図書館の蔵書目録(ドイツ語)より。
「Daisy, Princess of Pless」の例文・使い方・用例・文例
- Microsoftがβ版をランチするのは「NetShow streaming server」で動画や音声をオンデマンドで提供する。
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 an admiral of the fleet 海軍元帥.
- 篏入的 r 音 《英音の India office /ndiərfɪs/の /r/の音》.
- =《口語》 These kind of stamps are rare. この種の[こういう]切手は珍しい.
- (英国の)運輸省. the Ministry of Education(, Science and Culture) (日本の)文部省.
- は of の誤植です.
- を off と誤植する.
- あいまい母音 《about, sofa などの /ə/》.
- 副詞的小詞 《on, in, out, over, off など》.
- 迂言的属格 《語尾変化によらず前置詞によって示す属格; たとえば Caesar's の代わりの of Caesar など》.
- çon of garlic [humor]. それにはガーリック[ユーモア]がちょっぴり必要だ.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Speaker of the House of Commons 下院議長.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Committee of Ways and Means 歳入委員会.
- 初めて読んだ英文小説は“The Vicar of Wakefield”
- (違法罪―a sin of commission―に対する)怠惰罪
- 『each』、『every』、『either』、『neither』、『none』が分配的、つまり集団の中の1つのものを指すのに対し、『which of the men』の『which』は分離的である
- 『hot off the press(最新情報)』は『hot(最新の)』の拡張感覚を示している
- 『Each made a list of the books that had influenced him』における制限節は、リストに載った本を制限節で定義された特定の本だけに制限する
- 臨床的鬱病を治療するのに用いられる三環系抗鬱薬(商品名ImavateとTofranil)
- 『sunshine-roof』は『sunroof(サンルーフ)』に対する英国の用語である
- Daisy, Princess of Plessのページへのリンク