B家乗っ取り事件(1998年3月~2000年1月)
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「尼崎事件」の記事における「B家乗っ取り事件(1998年3月~2000年1月)」の解説
1998年3月、Xの伯母にあたるBの伯母の葬儀が行われた。その葬儀に関して参列していたXが「段取りが悪い」などとBらに難癖をつけてきた 。XはBや滋賀県や京都府に住んでいたBの息子夫婦・Bの兄らを頻繁に尼崎市内のBの家などに集め、問題解決のための会議をさせた。Xは暴力団の存在をほのめかしつつ、威圧的に会議を取り仕切る一方で、けがをした人物の世話をしたり、借金を抱えていた人物の相談に乗るなど、B家親族への影響力を強めていった。 さらに、Xは親族らに互いの不満を言い合わせるようになり、やがて親族同士で暴力や虐待を行わせるようになる。最初に矛先となったのはBで、叩かれたり、長時間立たされたり、飲食の制限をされるなどの虐待を受けていた。暴力や虐待を加えていたのは主に息子達で、Xは指示するのみで直接手を出すことはなかったという。 Bの孫らも主犯女Xに呼び出され、しばらくするとXと親しくするようになり、親には反抗的な態度をとるようになった。Bの息子夫婦らは自身の子供を人質にとられた状態になり、一層Xとは隷属的な関係に陥ってしまったとされる。 こうして支配を強めていったXは様々なことを口実にして息子らに退職を強要したり、家を売らせた 。ある親族の借金の肩代わりと称して、葬儀トラブルとは無関係の高知市の親類がXらに押しかけられてやむなく千数百万円を渡したという話もある 。 やがてB家親族らは兵庫県西宮市に団地を借り、そこで集団生活をさせられるようになる 。また、そのころXはBの息子夫婦を次々に離婚させ、さらには孫のうち2名を養子にしている 。集団生活から脱走する者も続出したが、その多くは他の親族らに居場所を発見され、連れ戻されていたという。
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