AH100
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/29 03:28 UTC 版)
日本は、第二次世界大戦敗北後、いかなる核研究と開発も禁止されていたが、1954年に平和利用については解禁された。国鉄鉄道技術研究所は諸外国で原子力機関車が検討されている趨勢や、政府による原子力利用の動きなどから、とりあえず技術的可能性を検討するため、調査目的として計画案として練られたのがAH100型原子力機関車であった。 AH100型は当時国鉄が開発したEH10形電気機関車に相当する3,000HPの在来線用貨物機関車で、全長29.8m、自重179t、軸配置1-Bo-Bo+Bo-Bo-1とEH10形よりもはるかに巨体であった。これは自重1.9tの原子炉に対し、遮蔽体だけで109tを必要としたためである。原子炉は濃縮ウラニウムを用いる熱中性子均質形で熱出力15600kWのもので、原子炉から熱交換器で送られた熱で加熱した圧縮空気でタービンを駆動して発電機を回し、主電動機で機関車を駆動させようというものであった。なお減速材にはベリリウム、伝熱媒体に液体リチウム、遮蔽体に軽量化できるポロン鋼パラフィン層状体を採用するとしていた。 最終報告書は1957年にまとめられたが、実現可能であるとしつつも、新造費用がかかりすぎるうえに、技術的課題が多すぎるとして難しいとした。そのうえで、原子力発電(および電化)に取り組む方が現実的であると結論された。 このAH100計画は、厳重な機密の下で開発が行われていたかのような記述が鉄道趣味書籍で見受けられることもあるが、実際には毎日新聞1957年6月3日朝刊『実る?原子力機関車の夢 青写真でき上る』に図面入りで詳細な報道がなされており、機密扱いであったとは言い難い。
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