AEGコンツェルン解体始末
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 07:19 UTC 版)
「AEG」の記事における「AEGコンツェルン解体始末」の解説
AEG はドイツの電力事業にも貢献した。ウニオン社に同じく1892年、エレクトロヴェルケ(Elektrowerke)が設立された。1917年9月、ドイツ帝国がAEGのエレクトロヴェルケを買収した。ヴァイマル期(1926年)のエレクトラヴェルケも、やはりバイエルン電力(VIAG, 現E.ON)を通じて100%連邦所有であった。その供給する電力は、供給量がRWEより一回り小さい程度であったが、しかし供給先がベルリンの、アルミニウム精錬を切り口とする諸工業へ集中していた。バイエルン電力は1986年から民営化されていった。 1985年、AEGがダイムラー・ベンツに買収された。これはドイツ銀行の勢力下に移ったことを示す大事件であり、ドイツ経済の再編成とも評された。しかしドイツ銀行が1989年にモルガン・グレンフェルを買収したことを考えると、AEG買収は同社のアーリア化でもドイツ資本化でもなく、ドイツ経済がドイツ銀行という根幹から米仏資本として再編成されるプロセスだったということになる。同1989年からダイムラーごとAEGは解体されていった。1992年アトラスコプコがAEGの電機部門を買収した。同年アルカテル=アルストムがAEGのケーブル部門(AEG Kabel)を買収し、ドイツ政府が欧州委員会に抗議する国際紛争に発展した。1994年、シュナイダーエレクトリックがオートメーション部門を、エレクトロラックスが家電部門をそれぞれ買収した。 AEG はベルリン近郊のヘニヒスドルフ(英語版)(Hennigsdorf)にて、鉄道車両(特に電気機関車)の製造も行っていた。ドイツ・エジソン社がAEGへと社名を変更した1887年に、AEG はドイツエジソン会社が興したベルリン電力会社(現バッテンフォール)の業務を引き継いだ。先述のウニオン社買収もAEGの鉄道史である(1903年)。1915年、ベルリン電力会社は市有化された。1927年、ベルリン電力会社の人材は今日悪名高い信用情報集積所(Schufa)を設立した。第二次世界大戦後、AEGのヘニヒスドルフ工場は東ドイツ側に属したため、社名を機関車製造電気技術工場(Lokomotivbau Elektrotechnische Werke, LEW)に変更した。LEW社はドイツ再統一が成って西ドイツ側のAEG社に吸収された。AEG社の鉄道車両製造部門は後にヘンシェルとの合併、アドトランツへの吸収などを経て、現在はボンバルディア・トランスポーテーションの一部となっている。
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