AE車登場以降
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1972年(昭和47年):AE車落成。同時に「空港連絡特急」の愛称として、日本全国の小学生からの公募により決定した「スカイライナー」の名称を与えられる。 1973年(昭和48年)12月30日:AE形で「開運号」代替列車の運行開始。 1978年(昭和53年)5月5日:宗吾車両基地に留置中のAE形が放火され全焼する事件が発生。 5月21日:新東京国際空港開港にあわせ、「空港連絡特急」として「スカイライナー」が、京成上野駅 - 成田空港駅(現・東成田駅)間を無停車で運行を開始。所要時間60分。 1979年(昭和54年)9月1日:「スカイライナー」昼間の一部列車が、京成成田駅に停車開始。 10月18日:京成上野駅、高砂車庫、宗吾車庫に留置していたAE型からそれぞれ出火。3編成に被害。中核派が犯行声明を出した。 1983年(昭和58年)10月1日:「スカイライナー」上り(京成上野行)に限り、日暮里駅に停車開始。AE形の塗装変更車の営業運転開始。 1984年(昭和59年)12月1日:「イブニングライナー」運行開始。 1985年(昭和60年)10月19日:「モーニングライナー」運行開始。 1990年(平成2年)6月19日:AE100形が運行開始。
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