A級戦犯7名の絞首刑の執行から3回忌、時刻まで一致の因縁
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「興亜観音」の記事における「A級戦犯7名の絞首刑の執行から3回忌、時刻まで一致の因縁」の解説
ウォルトン・ウォーカー中将は、1948年8月に、ロバート・アイケルバーガーの後任として、日本占領軍である第8軍司令官に任命され、東條英機らA級戦犯7名の絞首刑、火葬、遺骨の扱いに関わる執行責任者を務めた。その後、朝鮮戦争では米軍司令官であった。東條英機ら絞首刑の執行から丁度満二年後の祥月命日(三回忌)にあたる1950年(昭和25年)12月23日深夜、中将は第一戦視察の途中自ら運転していたジープの操縦を誤り事故死してしまった。ウォーカーが落命した時刻までが一致したので、周囲が七士の祟りと思ったのも無理はない。中将の副官は友軍の韓国将校の意見を入れ、興亜観音に七士の墓があると聞き参拝した。話を聞いた伊丹忍礼師は「怨親平等」のもと彼等を温かく迎え、ウォーカー大将(戦死後進級)の霊を丁重に供養した。
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