8-15章
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 08:02 UTC 版)
8月6日から24日の危篤に至るまでの修善寺での回想。この随想の中核をなす。 8章 8月17日の吐血。野田医師が診察。松根東洋城が長与胃腸病院に電話で連絡し、森成麟造医師と坂元雪鳥が来ることになった。 9章 時間が戻る。8月6日に漱石と東洋城は修善寺に行った。東洋城ら北白川宮の一行は菊屋別館に、漱石は8月7日から菊屋本館に宿泊。東洋城は8月22日に修善寺を去り、漱石は修善寺にとり残される形になった。 10章 8月6日からの雨は、関東一帯の歴史的豪雨となった。漱石の状況がかんばしくないと東洋城が8月12日に漱石宅に手紙を送ったら、鏡子が山田家の電話を借りて菊屋へ連絡してきた。漱石は相手が鏡子とわからず丁寧語で応対した。 11章 関東の水害についての手紙が鏡子から来た。森田草平の借家がつぶれかけたため、13日に緊急転居したことなど。 12章 17日の吐血の連絡を受け、18日に森成麟造医師と坂元雪鳥が、19日に鏡子が、修善寺菊屋に到着。 13章 24日夕に長与病院の杉本東造副院長が到着。「さほど悪くない」と診断したところ、その2時間後に吐血した。30分意識消失。その間にカンフルが16筒以上使われた。 14章 再び意識が遠くなり、杉本さんと森成さんがドイツ語で「駄目だろう」「ええ」などと会話。森成さんと雪鳥君に両手を握られたまま朝を迎える。 15章 30分意識消失していたことについての考察。
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