5ラウンド制の採用以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/02 07:13 UTC 版)
「フリーフライト (模型航空)」の記事における「5ラウンド制の採用以降」の解説
1954年(第4回)から、競技方法が5分3回の飛行より3分5回に変更され、一発勝負の記録主体より、多数回の確実性を重視した耐久競技に変わった。 カール・ホイーリー(米)の「セネター」機が優勝し、K&B15搭載機が連覇した。 一部に、機体を略垂直に立てたVTO(垂直離陸)が採用された。 第5回(1955)の優勝は、ミカエル・ガスター(英)の「ガストーブ」機で、オリバー・タイガー(ディーゼル)エンジン付き。定番のパイロン機で、VTO離陸、主翼は翼端楕円、水平尾翼は完全楕円の美しい平面形であった。 本来は前回の選手権国アメリカ開催のところをヨーロッパ勢に便利な西独にしたことと、当該競技の普及が進んだために、21カ国74人と前回よりも格段と参加者が増えた。特にソ連圏の初参加(チェコのチーム、ソ連の視察団)があった。 競技は初のフライオフ(3名の決勝飛行)があり、優勝記録は(900+313)秒。 第6回:1956年の開催地はイギリスに戻り、ロン・ドレーパー(英)が3人のフライオフを勝ち抜き、(900+320)秒で優勝。エンジンはOS-MAX15、イギリス流のパイロンが高い設計で、初めてオートラダーを使用。 フライオフの相手は、デーブ・ポスナー(英)とラリー・コノバー(米:ラッキー・リンディー機)で、コノバー機は代理飛行名人シルビオ・ランフランキ(1952大会参照)が飛行。
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