3001形の評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/06 22:09 UTC 版)
「大阪市交通局3001形電車」の記事における「3001形の評価」の解説
大阪市電3001形は、最後はモータリゼーションの荒波にのまれて不遇な面があったにせよ、50両が量産されて大阪市電廃止まで特に問題なく使用され、同様に合計51両が新造された名古屋市電1900形・名古屋市電2000形と並び、和製PCCカーとしては最も成功した車両となった。その後、日本においてはこれらの和製PCCカーに比肩あるいは凌駕する性能を備えた路面電車向け車両は、碓氷峠並の極端な急勾配区間を擁し過酷な使用条件を課せられていた京阪電気鉄道京津線80形(1961年)を例外とすると、1980年竣工の軽快電車(広電3500形、長崎2000形)まで出現せず、日本の路面電車は実に約4半世紀の長きにわたって技術的な停滞の中に留められることとなった。 また、他都市で和製PCCカーの導入失敗事例が相次いだ中、大阪市電が3001形の導入に成功したのは、3000形の導入から慎重にステップアップを図って技術の熟成を待ち、3001形の製造時に当時最高の技術を実用的なレベルで導入することに成功した、当時の車輌課長宮本政幸の手腕によるところが大きかったといえる。この他の理由としては、大阪市では交通局が戦前から地下鉄を保有していた関係で、(路面電車としては新しい)間接制御の技術に慣れていたことも、和製PCCカーを長く多く運用できた一因として指摘されている。
※この「3001形の評価」の解説は、「大阪市交通局3001形電車」の解説の一部です。
「3001形の評価」を含む「大阪市交通局3001形電車」の記事については、「大阪市交通局3001形電車」の概要を参照ください。
- 3001形の評価のページへのリンク