2014年滋賀県知事選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 05:02 UTC 版)
「三日月大造」の記事における「2014年滋賀県知事選挙」の解説
「2014年滋賀県知事選挙」も参照 2014年7月の滋賀県知事選挙に、三日月は民主党を離党し無所属で立候補した。出馬の検討段階であった同年3月、そのことに関する最初の報道がなされた。民主党や滋賀県連の幹部は三日月を説得し、現職の嘉田由紀子の去就を見定めてから判断するよう翻意を促したが、地元の首長らに対し「離党してでも出馬したい。その節はよろしくお願いする」と述べ、出馬に向けた準備を進めた。三日月の立候補に向けた動きを受け、嘉田知事は同年4月26日、三日月も同席する集会の席上で候補者の一本化及び同年5月7日に新たなグループ「チームしが」の設立を発表。4月28日、嘉田は自身を支持する地域政党「対話でつなごう滋賀の会」の幹部らに対し、「嘉田県政を若い人に引き継ぎたい」と述べ、3選不出馬の意向を表明した。嘉田の不出馬表明により、事実上嘉田の後継指名を受ける形での三日月の立候補が確実になった。5月8日、伊吹文明衆議院議長宛に辞職願を提出し、9日に受理された。三日月の辞職に伴い、第46回衆議院議員総選挙において滋賀1区で落選し、比例近畿ブロック次点であった川端達夫が繰り上げ当選した。また三日月の離党に伴い、三日月が務めていた民主党滋賀県連代表に林久美子参議院議員が就任した。 知事選挙は6月26日に告示され、三日月、嘉田に加え武村正義ら滋賀県政の関係者で構成された「チームしが」が、「草の根自治」を標榜する選挙戦を展開した。三日月が離党して無所属で出馬したため、支持率が低迷する民主党は表立った推薦や選挙運動は控えたものの、民主党選挙対策委員長の馬淵澄夫が三日月陣営の選挙対策本部長を務めて現地に張り付くほか、津村啓介、泉健太ら2003年に初当選した同期の議員らが三日月の支援を行い、連合滋賀も、三日月がJR西日本に勤務していた当時、連合傘下のJR西労組に所属していた縁で全面的に支援した。三日月大造は民社協会員であったため、民社協会も全面支援した。当初は三日月の劣勢が伝えられていたものの、与党である自民・公明両党が推薦する元経産技官・小鑓隆史を約1万3千票差で破り、当選。同年7月22日、滋賀県庁に初登庁。嘉田前知事が掲げていた「もったいない県政」や「卒原発」を継承する考えを表明した。滋賀1区、2区は敗北したが、滋賀3区および4区で圧勝し、逆転勝利した。
※この「2014年滋賀県知事選挙」の解説は、「三日月大造」の解説の一部です。
「2014年滋賀県知事選挙」を含む「三日月大造」の記事については、「三日月大造」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から2014年滋賀県知事選挙を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- 2014年滋賀県知事選挙のページへのリンク