2011年ソウル市長補選
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2011年9月、安が同年10月のソウル特別市市長補欠選挙に立候補するのではという期待が広がった。無所属である安は、相次ぐ政治的腐敗の告発や政策的失敗によって主流派政党に不満を抱いている層から、一定の支持を得ることができると予想された。安の政治的動機は、2002年の盧武鉉が先導したポピュリズムと近い。結局、安はソウル市長補選に出馬せず、「希望製作所」常任理事の朴元淳(パク・ウォンスン)支持を表明した。 10月26日に投票が行われた補選の結果、野党統一候補となった朴元淳が与党候補の羅卿瑗(ナ・ギョンウォン)を押さえて勝利した。 2012年12月に予定されている大統領選挙の候補者世論調査で、ハンナラ党の朴槿恵を抜いて首位に立ち、野党陣営の有力候補と目されていたが、本人自身は明確な回答を避けていた。しかし、2012年2月6日の「安哲秀財団」(仮称)の設立記者会見で「我が社会の発展的変化でどのような役割を果たせばいいのかを考えている。政治もその一つになりうる」と発言し、一歩踏み込んだ発言をした。また財団理事長に故・金大中元大統領側近で平和民主党副総裁や総裁権限代行を務めた女性運動家の朴英淑未来フォーラム理事長を選任したことも、政界から注目されている。3月27日、ソウル大学で行われた講演会で社会発展に一定の貢献ができるなら政治に参加する意志があるとの考えを示し、前回より更に踏み込んだ発言をした。また「仮に政治に参加するとしても、保守陣営と進歩陣営、どちら一方の論理に頼らないことだけは確かだ」とし、セヌリ党や民主統合党(以下、民主党)といった既成政党とは距離を置く立場も示した。
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