2代目C3系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/18 14:28 UTC 版)
かつてのNSU・Ro80の復活のようなCd=0.33と空力的なスタイリングで登場したC3型においてもアウディのトップモデルという位置付けは変わらなかった。ライバルはメルセデス初代ミディアムクラスにBMW5シリーズE34、ボルボ760が該当する。当初のエンジンは2,144cc直列5気筒、136馬力と182馬力ターボ付きであったが、翌年には2,200ccに拡大され、NAが138馬力、ターボが触媒付きで1984年は141馬力、1985年以降は165馬力となり、更に1989年にはDOHC 20バルブ 2,200ccで220馬力を出す「200クワトロ20V」も追加された。ブレーキは4輪ディスクになった。 アメリカ市場においては「アウディ・5000」の名称で発売されたが、1989年式以降では世界市場と同様の「100/200」に改名された。これは、同国で5000(オートマチックトランスミッション仕様)の暴走事例が相次ぎ、それが人気ドキュメンタリーテレビ番組で報道されたことで社会問題化、「5000」の悪評が定着したためであった。 日本仕様は140PS/5,500rpm、20.6kgm/3,000rpm。 1991年にフルモデルチェンジを受け、100は4代目のC4型に発展するが、この際名称は100に統一され、200の名は消滅した。
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