2代目(1976-1982年)C2系
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「アウディ・100」の記事における「2代目(1976-1982年)C2系」の解説
アウディ100は1976年に初の全面変更を行う。トップグレードではガソリン車で世界初の直列5気筒エンジンを採用し世界中を驚かせた(世界初の5気筒エンジンはメルセデス・ベンツが1974年に発表したディーゼルエンジン)。 5気筒エンジンは「6気筒のパワーと4気筒の経済性」を謳い、2.1Lから100馬力を発生させている。後に改良され、136馬力と大幅に出力が向上した。ボディラインナップは、4ドア・2ドアセダンはそのままにクーペはなくなり、「アヴァント」と称する5ドアハッチバックが新たに追加された。この頃の「アヴァント」は現在のようなステーションワゴンではなく、ファストバックの5ドアハッチバックで大型化されたフォルクスワーゲン・パサートのようなモデルであり、フランスのルノー・25などにも類型が見られる。 このC2シリーズでは、新設計のエンジンによってドライバビリティーが大幅に向上し、ヨーロッパ市場ではひとつのベンチマークであったメルセデスのコンパクト(W123)のライバルの一台として認識される実力を備えるに至った。6ライトの車内は、FFの利点を活かし非常にルーミーであり、リファインされた乗り心地・静粛性などにおいてはむしろW123を凌駕していた。その他、パンクしても直進性を保つというネガティブスクラブのフロントサスペンションや、2系統のブレーキ配管など、派手さはないが乗用車としての安全性を追求した技術が目立つ。 北米では「アウディ5000」の名で販売されブランドイメージの刷新を行った。
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