1991年:結成
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「L'Arc〜en〜Ciel」の記事における「1991年:結成」の解説
1991年2月頃、兵庫県西宮北口駅のスタジオにてtetsuyaを中心に結成される。グループ名はフランス語の「虹」を意味する l'arc〜en〜ciel (フランス語発音: [laʀkɑ̃sjɛl] ラルコンスィエル、ラフコンスィエル)。グループ名決定の経緯は諸説あり、阪急梅田三番街にある喫茶店の名前をtetsuyaが気に入り、そこから取ったという説が有力であるとされてきたが、tetsuyaによって否定された。実際には、当時本屋などで資料を探していたtetsuyaがこの言葉をたまたま見つけ、見た目や響き、さらには様々な色を表現する「虹」が「音楽」の表現という点で共通していると感じたため、この名前をつけたという。また、tetsuyaは「長くて覚えにくいけど、ローマ字表記にしたらインパクトがあると思った」とも語っている[要ページ番号]。因みに、バンドの公式ファンクラブ「LE-CIEL」は、フランス語で「空」という意味があり、ファンとバンドが"空"と"虹"のような関係になりたいという思いが込められている。 当時のメンバーはtetsuya (ベース・当時は「tetsu」)、hyde (ヴォーカル・当時は「hide」)、hiro (ギター)、pero (ドラムス)の4人で、インディーズ時代は関西を拠点に活動した。ちなみに、L'Arc〜en〜Cielを結成する前にhydeとperoの2名はJelsarem's Rodというバンドで共に活動しており、Jelsarem's Rodとして参加したセッション大会で偶然tetsuyaと遭遇して以降、tetsuyaがhydeに対し「バンドを作ろう」と電話などで誘い続け、結果tetsuyaらとセッションを行った。その後、Jelsarem's Rodのメインコンポーザーも兼ねていたhydeが「活動の行き詰まりを感じて」解散。セッションの縁からL'Arc〜en〜Cielに加入することとなった。結成後、5月30日に当時のホームグラウンドとしていた難波ロケッツで行ったファーストライブは、いわゆる対バン形式ながらも100人以上を動員。また、9月27日に同所で行われた初のワンマンライブでは300人以上の動員を記録するなど、結成間もなくのインディーズバンドとしては異例の動員数を誇っていた。 また、当時他のインディーズバンドが活発にライブ活動を行う中、L'Arc〜en〜Cielは結成当時はあまりライブを行わないスタンスをとっていた。これについてtetsuyaは「ライブの本数はあえて絞った」「大阪に観に来てもらう、東京からでも来てもらう、それぐらいの気持ちでやっていた」と語っている。また、ライブの本数を減らしたことで、口コミにより動員数が増加したと振り返っている。また、L'Arc〜en〜Cielはインディーズ時代にデモテープの公式配布・公式販売は一切行っておらず、「ライブに来ないと曲を聴けない」「自分達が納得するタイミングと形になるまで世に出さない」というやり方をとっていた。
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