1991年:結成とは? わかりやすく解説

1991年:結成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/06 03:24 UTC 版)

「L'ArcenCiel」の記事における「1991年:結成」の解説

1991年2月頃、兵庫県西宮北口駅スタジオにてtetsuya中心に結成されるグループ名はフランス語「虹」意味する l'arc〜en〜ciel (フランス語発音: [laʀkɑ̃sjɛl] ラルコンスィエル、ラフコンスィエル)。グループ決定の経緯諸説あり、阪急梅田三番街にある喫茶店の名前をtetsuya気に入り、そこから取ったという説が有力であるとされてきたが、tetsuyaによって否定された。実際には、当時本屋などで資料探していたtetsuyaがこの言葉をたまたま見つけ、見た目響きさらには様々な色を表現する「虹」が「音楽」の表現という点で共通していると感じたため、この名前をつけたという。また、tetsuyaは「長くて覚えにくいけど、ローマ字表記にしたらインパクトがあると思った」とも語っている[要ページ番号]。因みにバンド公式ファンクラブ「LE-CIEL」は、フランス語「空」という意味があり、ファンバンドが"空"と"虹"のような関係になりたいという思い込められている。 当時メンバーtetsuya (ベース当時は「tetsu」)、hyde (ヴォーカル当時は「hide」)、hiro (ギター)、pero (ドラムス)の4人で、インディーズ時代関西を拠点活動したちなみにL'Arc〜en〜Ciel結成する前にhydeperoの2名はJelsarem's Rodというバンドで共に活動しており、Jelsarem's Rodとして参加したセッション大会で偶然tetsuya遭遇して以降tetsuyahyde対しバンド作ろう」と電話などで誘い続け結果tetsuyaらとセッション行ったその後Jelsarem's Rodメインコンポーザー兼ねていたhydeが「活動行き詰まり感じて解散セッションの縁からL'Arc〜en〜Ciel加入することとなった結成後、5月30日当時ホームグラウンドとしていた難波ロケッツ行ったファーストライブは、いわゆる対バン形式ながらも100人以上を動員また、9月27日同所行われた初のワンマンライブでは300人以上の動員記録するなど、結成間もなくインディーズバンドとしては異例動員数誇っていた。 また、当時他のインディーズバンド活発にライブ活動を行う中、L'Arc〜en〜Ciel結成当時はあまりライブ行わないスタンスとっていた。これについてtetsuyaは「ライブ本数はあえて絞った」「大阪に観に来てもらう、東京からでも来てもらう、それぐらい気持ちでやっていた」と語っている。また、ライブ本数減らしたことで、口コミにより動員数増加した振り返っている。また、L'Arc〜en〜Cielインディーズ時代デモテープの公式配布・公式販売一切行っておらず、「ライブに来ないと曲を聴けない」「自分達が納得するタイミングと形になるまで世に出さない」というやり方とっていた。

※この「1991年:結成」の解説は、「L'Arc〜en〜Ciel」の解説の一部です。
「1991年:結成」を含む「L'Arc〜en〜Ciel」の記事については、「L'Arc〜en〜Ciel」の概要を参照ください。

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