1977年の部隊再編
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「第265海兵中型ティルトローター飛行隊」の記事における「1977年の部隊再編」の解説
1977年9月1日、HMM-265はドナルド・クリングラー中佐の指揮のもと、ハワイ州のカネオヘ湾海兵隊航空基地において再編され、今日まで太平洋に存続し続けることになった。再編時点では飛行隊にはヘリコプターが1機もなかったが、12月までに4機のCH-47Dと7機のCH-46Fが管理替えされた。 1978年の春、HMM-265はカウアイ島のバーキング・サンズ訓練場に展開し、西太平洋への展開に向けた戦闘準備を整えた。その間、飛行隊は低空飛行や部隊輸送に関する訓練を実施した。 1978年4月、HMM-265はUSSニューオーリンズ(LPH-11)に乗船し、冷戦時代の防衛の最前線における軍事プレゼンスを高めるため、西太平洋へ向けて出発した。6ヵ月間にわたってカネオヘ海兵隊航空基地を離れた飛行隊は香港やシンガポールに寄港するとともに、フィリピンのセブにおける訓練を完了した。この任務における展開兵力はCH-46が12機、CH-53が4機、UH-1Nが2機およびAH-1Jが2機であった。 カネオヘ海兵隊航空基地で1年間を過ごしたのち、HMM-265はカホオラウェ島における訓練を実施し、次の展開に向けて準備を開始した。飛行隊は1979年8月の最初の週末にAV-8Aハリアーやヘリコプターと連携した大隊上陸戦闘団との上陸訓練やUSSトリポリ上での訓練を実施した。 1979年8月末、HMM-265は今度はUSSトリポリで西太平洋に再び展開、冷戦下における軍事プレゼンスを高めた。また飛行隊は、ドナルド・クリングラー中佐の指揮のもと、いくつかの海兵水陸両用部隊(MAU)と協同し沖縄におけるフォートレス・ゲール作戦に参加した。その後、飛行隊はニュージーランドおよびオーストラリア軍との共同作戦である「Kangaroo Three in Northeastern Australia(オーストラリア北東部のカンガルー・スリー」と呼ばれる任務に参加した。またニューギニア、香港、タスマニアおよびシドニーを訪問し、シドニーにおいては1979年11月10日に海兵隊創立記念日を祝った。この派遣間の展開勢力はCH-46が12機、CH-53が4機、UH-1Nが2機、AH-1Jが2機およびAV-8Aが2機であった。 1980年2月に飛行隊がカネオヘ海兵隊航空基地に戻ると、2月22日に指揮官交代式が行われ、飛行隊の指揮はウィリアム・バーバ少佐に引き継がれた。バーバ少佐の指揮のもと、飛行隊はカネオヘ湾の内外および西太平洋で運用を続けた。
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