1970年代-80年代前半 -夢の終わり-
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 04:58 UTC 版)
「インテルナツィオナーレ・ミラノ」の記事における「1970年代-80年代前半 -夢の終わり-」の解説
1970-71シーズン、選手と対立していたエリベルト・エレーラ監督の後を受けたジャンニ・インヴェルニッツィ監督はグランデ・インテルの遺産と得点王に輝いたロベルト・ボニンセーニャの活躍で11回目のスクデットを獲得、翌シーズンはUEFAチャンピオンズカップ決勝に進んだが、ヨハン・クライフ率いるオランダのアヤックスに完敗した。 そしてマリオ・コルソやタルチシオ・ブルニッキがクラブを去り、サンドロ・マッツォーラも引退、ジャチント・ファッケッティも1977-78シーズンに2回目のコッパ・イタリアを手土産に引退しグランデ・インテルは完全に消滅した。 1979-80シーズンにエウジェニオ・ベルセッリーニ監督の下、イヴァノ・ボルドン、ガブリエーレ・オリアーリ、ジャンピエロ・マリーニ、ジュゼッペ・バレージ、エヴァリスト・ベッカロッシ、アレッサンドロ・アルトベッリ等の活躍で12回目のスクデットを獲得、1981-82シーズンに3回目のコッパ・イタリアを獲得し、黄金時代の再来を期待させたが、それも長くは続かなかった。 また、1979年にジュゼッペ・メアッツァが他界、これに対しミラノ市は1980年3月2日に彼の功績を讃えてスタジアムの正式名称をスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ(Stadio Giuseppe Meazza)と定めた。
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