1969年・1970年製造車とは? わかりやすく解説

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1969年・1970年製造車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 07:37 UTC 版)

京急700形電車 (2代)」の記事における「1969年・1970年製造車」の解説

浦賀 品川製造メーカー 竣工時期 形式デハ700 サハ770 サハ770 デハ700 区分Mu T T Ms 車両番号711713715717719721723725727729731733735737 781783785787789791793795797799761763765767 782784786788790792794796798770762764766768 712714716718720722724726728730732734736738 東急東急東急/川車川車川車川重川重川重/東急東急東急東急東急川重川重 1969年6月1969年6月1969年7月1969年6月1969年6月1970年3月1970年3月1970年3月1970年2月1970年2月1970年6月1970年6月1970年6月1970年6月 搭載機器CON,PT CPMG7.5 CPMG7.5 CON,PT 自重 34.5 t 26.5 t 26.5 t 34.5 t 定員140 140 140 140 1968年昭和43年)は700形製造はなく、1年あけた1969年昭和44年)に製造再開された。高運転台をやめて通常の運転台構造となったため前面窓下方100 mm拡大され外観印象変わっている運転席腰掛の高さが3段階に変更できるようになった前面窓1000形と共通のものとされたため、貫通扉窓の天地寸法が他の2枚よりも大きくなった。開閉側窓隅にRが設けられるとともに戸袋窓の天地寸法拡大され車体外側か見た窓開口部大きさ開閉側窓と同一となった乗務員室扉・正面貫通扉ステンレス製変更された。車内では座席蹴込ステンレス塗装となり、 運転台仕切り部の遮光幕アルミ遮光板となった高運転台車装備されいた電気笛は採用されなかった。製造時からATS列車無線装備している。寒冷時の保温対策として、中央部2か所のドア閉め切る戸閉半減装置設けられた。 1969年昭和44年11月川崎車輌川崎重工一部となったため、1970年昭和45年製造車から製造者名が変更されている。1970年昭和45年製造車では車内難燃推進のための設計変更が行われた。サハ770形番号が799に達したため、30両目77031両目以降760番台に附番された。733編成ドアレール方向つり革増設した。 711713編成ではシート表布ビニールレザー採用されたが、汗でべたつくことからすぐに一般的なモケット変更されている。

※この「1969年・1970年製造車」の解説は、「京急700形電車 (2代)」の解説の一部です。
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