1964年選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/16 07:20 UTC 版)
「アメリカ合衆国の歴史 (1964-1980)」の記事における「1964年選挙」の解説
1964年アメリカ合衆国大統領選挙で、ジョンソンは自身を中道に位置付け、強硬な右派として特徴付けた対抗馬、共和党公認候補のバリー・ゴールドウォーターとの違いを鮮明にした。ジョンソンが使った運動手法として最も有名なのが、「デージーガール」と名付けられたテレビコマーシャルだった。これでは一人の少女が野原でデージーの花びらを数えながら毟っており、それがカウントダウンの開始につながり原子爆弾の爆発に繋がるものだった。このコマーシャルは、アジアで共産主義と戦うためにゴールドウォーターが戦術核兵器を使うことを提唱していたことに反応したものだった。 ジョンソンは一般選挙で64.9%を得票してゴールドウォーターに完勝した。この時の得票率差は1824年の大統領選挙以来の数字になった。しかしジョンソンが南部州で支持を得られなかったことが明らかであり、選挙地盤として「ソリッド・サウス」に依存してきた民主党のその後には逆風を意味していた。 公民権問題で保守的な南部白人を民主党から疎外させるまでは、労働組合、少数民族、革新派および南部白人の政治的連衡(いわゆるニューディール連衡)によって、30年間近くも民主党が連邦政府の多数派として支配し続けていた。 「州権民主党」を参照
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