1936年のアメリカ旅行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 00:12 UTC 版)
「フェルディナント・ポルシェ」の記事における「1936年のアメリカ旅行」の解説
すでにアメリカ合衆国でも自動車の大家として知られていたが、この時は秘書のみを伴い、短期間アメリカ合衆国へ旅行した。この時はパッカードのV型8気筒エンジン搭載車を現地購入しそれを乗り回して移動した。帰路予めブレーメンで帰国することになっていたが、ブレーメンが大西洋を渡る2日前に当時世界最大の船舶で就航したばかりのクイーン・メリーが渡ることをニューヨークで知ったポルシェはそれに乗って帰ると言い出した。当時すでにドイツ人に対する外国為替制限は非常に厳しくなっており、旅行が間もなく終わる時でアメリカドルはほぼ使い果たしていたので、そのままであればドイツマルクが使えるブレーメンで往復するしかなかった。秘書はブレーメンの切符を払い戻し外国為替で返金してもらうよう北ドイツ・ロイド社に問い合わせたが、外国為替法違反になるという理由で断られた。ロイドから許可を申請してもらうようドイツ政府に話をしたが、断られたようだったという。秘書はその旨話したがポルシェは納得せずクイーン・メリーに乗れる方法を考えて欲しいとのことだったので、秘書はキュナード・ホワイト・スター・ラインの事務所を訪れ、無料で特等室を使う許可を貰い、ポルシェは無一文で大西洋を渡った上に食費として数ポンド受け取った。船長は有名人を乗せたことで満足していたが、ポルシェは持ち前の好奇心からエンジンルームも見たいと言い出した。当時外国人をエンジンルームを見せることは原則禁止されていたので断られたが、ポルシェは特別の許可を出して欲しい旨話をし、結局その特別の許可を出すためにロンドンに問い合わせて許可を出す羽目になった。ポルシェは気づいた疑問点を技師に全て聞き、技師は喜んでそれに答えた。船は台風に遭い非常に揺れたが、ポルシェは1日1度気晴らしに船を一周する習慣を止めず、大きく傾いたブリッジに行き技師に「何度傾くと船が転覆するのか」尋ねた。技師は「ブリッジが水に浸かるまで大丈夫だがブリッジにはもう来ないように」と話した。しかしポルシェはどれだけ傾いているか写真に収めた。サウサンプトンに船が到着した時、新聞記者が台風の中で撮影した写真を欲しがっており、ポルシェの撮影した写真が日刊紙に掲載された。その後オースチンのハーバート・オースチンに招かれて工場を見学するため2-3日イギリス滞在した。
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