1930年の暴動事件の発生
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「リマ排日暴動事件」の記事における「1930年の暴動事件の発生」の解説
1929年に起こった世界恐慌は、ペルー経済にも打撃を与えた。当時のペルーの主要な輸出品であった綿花と砂糖の国際価格は暴落し、国内経済は混乱した。これにより、1919年から長期独裁を敷いていたアウグスト・ベルナルディーノ・レギーア・イ・サルセード(英語版)大統領への不信と反感が高まっていった。 1930年8月23日に、アキレパに駐屯していた軍の部隊の隊長であったルイス・ミゲル・サンチェス・セロが「政府は財政整理の一環として、軍隊の減員、減俸、恩給減額などを進めている」とし、反乱を起こした。この動きがペルー各地に伝わると、クスコやプーノなどの駐屯軍にも反乱に加担する声明がでた。レギーアは辞職を表明し、パナマへの脱出を企てたが失敗し捕らえられた。8月30日にサンチェス・セロがリマに乗り込み、自らを首班とする臨時政府の樹立を宣言し、クーデターは収束した。 このクーデターの騒ぎに乗じ、8月25日から26日にかけて、リマの下層階級が暴動を起こした。レギーアの私邸や縁故者、高官の私邸が襲撃を受けた。 同時に、「レギーアが招き入れた日本人を襲撃せよ」等の排日文書が散布され、流言がとび、日本移民の商店が破壊略奪を受けた。この2日間で被害を受けた数は130店舗で、本人の申告による被害見積りは30万ソルに及んだ。ただ、この時の暴動は、必ずしも日系移民だけをターゲットにしたものではなく、イタリア移民や中国移民の商店も被害を受けた。
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