パナマへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 09:54 UTC 版)
1928年(昭和3年)4月27日に横浜港から一路ウルグアイのモンテビデオを目指し、大阪商船の博多丸に乗る。途中、香港、シンガポール、ケープタウン等に寄港しながら雑貨品を仕入れては売りさばくという商売を続けていたという。 同年7月10日、モンテビデオに到着するが、そこで父の訃報が届き帰国、同年12月31日には再び横浜を出航し、ハワイ、ロサンゼルス、メキシコを経て、パナマに着く。本来の目的はベネズエラのカラカスであったが、ベネズエラが内戦状態となり商売を断念。パナマで「天野商会(カサ・ハポネサ)」を開業した。その後、パナマを拠点とした事業は成長し、チリ(農場)、コスタリカ(マグロ漁)、エクアドル(製薬業)、ペルー(金融業)に進出した。1939年(昭和14年)には南米旅行中の田中耕太郎とも会見している。
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