1919年・1933年の橋
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「押切橋」の記事における「1919年・1933年の橋」の解説
冠水橋が架けられる以前は、押切の渡しと呼ばれる、大麻生村と押切村を結ぶ村道に属する私設の渡船であった。渡船がいつから存在したかは定かではないが、1876年(明治9年)頃までには存在したとされる。渡船は人用と馬用が1艘ずつの2隻を有し、管理運営は地元地域で行い、渡船賃(通行料)は徒歩は二厘、馬は五厘を徴収していた。また、大正時代は徒歩は大人一人二銭を徴収していた。冬場などで流量が減少し、渡河が困難な時期は仮橋を架設していた。また、渡し場を利用した荷馬車業者による物資の輸送も盛んであった。1919年(大正8年)、御正村押切地区の寄付によって道幅の狭い木桁橋の冠水橋(かんすいきょう)が架設された。なお、1920年(大正9年)に村道は県道に昇格されている。 渡船は押切橋の完成とともに一応廃止されたが、大水の際に橋が流失するなどして通行不能となった場合は復旧までの間、臨時に渡船を運航していた。 1933年(昭和8年)に同じ木桁橋の冠水橋に架け替えられた。
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