19世紀:「自由主義」「合理主義」の進展と対立の発生
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「自由主義神学」の記事における「19世紀:「自由主義」「合理主義」の進展と対立の発生」の解説
19世紀に入ると、18世紀に生じた折衷的とも称される合理主義は、諸科学の進展に伴って幅広い様相を呈するようになる。 依然として宗教改革以来のプロテスタントが育んできた教会の役割を重視する者も多数存在したが、他方、自分たちの精神的独立や、一切の枠に嵌め込まれることへの恐れをはっきりと表明する者も登場してきた。 1820年代から1840年代にかけてこうした「自由主義」は、聖書の権威、キリストの犠牲による信徒の救いは認めてはいたものの、「人は自由にキリストの方へ目を向けることができる」と断言し、正統主義と対立する。 19世紀末には、自由主義においては聖書は他の古代の書物と同様、批判的分析の対象とされ、イエス・キリストの復活も、敬虔から来る弟子たちの錯覚などとされるケースも出るに至った。 こうした自由主義・合理主義の潮流においても、シャルル・ヴァーグネールなどを例として、深い宗教的精神、熱烈なイエスへの愛は存在し続けたとされることもある。 ただし19世紀の自由主義・合理主義の流れに対して、伝統主義者達が反発して「正統派」「福音主義」と呼ばれる流れが生じ、それ以降激しい抗争が行われるようになった(抗争は現在に至っている)。 福音主義の観点からは、自由主義神学は19世紀から20世紀初頭に台頭し、伝統的な宗教観に大きな変化(保守的視点からは「打撃」)をもたらしたとされる。福音主義同盟はリベラルとユニテリアンの異端に対して福音主義の9ヶ条を確認した。危機感を募らせた福音主義者は英国やアメリカでキリスト教根本主義(ファンダメンタリズム)を興した。
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