1899年ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道法
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「ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道」の記事における「1899年ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道法」の解説
ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道の路線案は未確定だったが、1898年8月に建設工事が始まった。1898年11月22日に発行された1899年法には既存路線案の一部変更、延伸、工事期間の延長が盛り込まれた。延伸案の1つはパーク・クレセントから分岐し、リージェンツ・パークの下を通って公園のアウター・サークルとチェスター・ロードとカンバーランド・ゲートの間で交差してその付近に駅を設ける、ニュー・クロス・アンド・ウォータールー鉄道の路線案より北側を通るものとされた。この延伸線は西カンバーランド・ストリート(後のナッシュ・ストリート)、カンバーランド・マーケット(英語版)、東カンバーランド・ストリートとエドワード・ストリート(後のヴァーンデル・ストリート)を通り、ユーストン駅西側のカーディントン・ストリートを終点としていた。 2つ目の延伸線はマリルボンの西からグレート・ジェームス・ストリート、ベル・ストリートを通ってコーレット・ストリートで南に曲がり、グランド・ジャンクション・カナル(英語版)のパディントン・ベイシン(英語版)を抜けてグレート・ウェスタン鉄道のパディントン駅東側に至るものとされた。パディントン・ベイシンの東西の延長部の下、路線案が北西に曲がる地点でメインラインの駅とパディントン・ベイシンの間に駅1つが設けられた。この駅を過ぎたところで上下線2つのトンネルが1つになり、北東に向きを変え、リージェンツ・カナルと交差したあとリトル・ベニス(英語版)の東側を通り、ブロムフィールド・ロード北側に予定された車両基地付近では地上に出る計画とされた。ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道はパディントンに発電所を設けることも計画していた。ウォータールー側の終点も南側に移動し、アディトン・ストリートの下に変更された。1906年にベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道はこの計画変更は「サウス・ロンドン・トラムウェイの乗客の地下鉄利用を促すとともに、ロンドンに乗り入れる主要な鉄道路線と接続するため」であったと公表している。 ロンドンで初めての地下鉄を開業させ、1863年からインナー・サークル北側のパディントンからユーストンの区間を運営していたメトロポリタン鉄道 (英語:Metropolitan Railway、MR)はベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道の延伸案を自社の既存路線に対する脅威ととらえ、延伸案に反対した。1899年に8月1日に1899年ベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道法を通過させる際、議会はメトロポリタン鉄道の主張を認め、建設期間の延長とウォータールー付近の計画変更だけを認可した。
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