15日制以前の皆勤全敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 18:50 UTC 版)
1場所15日となる前にも全敗の記録は存在する。 1919年5月場所で新三役(関脇)の藤ノ川雷五郎が10戦全敗。以後三役に返り咲くことは無かった。 1926年5月場所で新入幕の稲ノ森勉が11戦全敗。翌場所に十両に陥落し、以後幕内に返り咲くことは無かった。 大関鏡岩は小結に在位した1934年5月場所で11戦全敗を記録。幕内全敗経験後に大関まで昇進(1936年5月場所後)した非常に珍しい例である。 横綱玉錦が現役死した直後の1939年1月場所には玉錦土俵入りで露払いを務めた土州山と太刀持ちを務めた海光山がともに全敗(当時13日制)して引退した。 1947年11月場所で名寄岩は歴代大関でただ1人在位中に全敗(当時11日制)を記録(翌場所関脇に陥落)した。 灘ノ花は春秋園事件から復帰し幕内格別席にあった1933年1月場所で11戦全敗を記録した。その2年後の1935年1月場所では十両で11戦全敗を記録した(この場所で引退)。幕内・十両の両方で皆勤全敗を経験した珍しいケースである。 出羽湊利吉は1944年5月場所で10戦全敗を記録したが、それより前の1939年1月場所では全勝優勝(当時13日制)しており、2018年現在、幕内で皆勤全勝・全敗の両方を経験した唯一の力士である。
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