龍虎山と道教とは? わかりやすく解説

龍虎山と道教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 08:55 UTC 版)

龍虎山」の記事における「龍虎山と道教」の解説

正一教天師道)の本拠地道教における吉祥地である洞天福地七十二福地一つで第32龍虎山信州貴渓県仙人の張巨君として名が挙げられている。 張道陵直系の子孫の住むところを天師府といい神をまつる場所を清宮という。これらは近く流れ瀘渓河上流に唐宋の頃より建築重ねられた。 上清宮第四天師張盛建てた伝籙壇を唐の会昌元年841年)に名を真仙観と改めたものと伝えられる。 更に北宋大中祥符8年1015年)第24天師の張正随の時王欽若の奏により授籙院を建立しそれと同時に真仙観を上清観と改名北宋崇寧4年1105年)に現在の場所に移築され政和3年1113年)に上清正一宮、元の大徳8年1304年)には大上清正一万寿観と改めそして清の康熙26年1687年になって現在の名前となった主要な宮観建造物は他に天師正一観など49数え、各宮観各々広大な荘園有して龍虎山経済的基盤成していた。清代では東西36道院紫微・霊陽・虚靖三派の道士分かれて所属していた。 第38代天師の張与材はこの山で「三山符籙」(上清籙・霊宝籙・正一籙)の発行司り道士任命や符を発行することを掌握する権限をもった。 籙を受けた道士儀礼主宰する資格があると認められたことになる。籙には授与年月日、受籙者の住所、受籙した宮観名、神々への誓詞神々官吏の名前、符図や神仙図像などが書かれるこのようにして龍虎山道教信仰一大中心地となり民国38年1949年)に第63天師の張恩溥(中国語版)が台湾へ亡命するまでは聖地として絶対的な権威有していた。

※この「龍虎山と道教」の解説は、「龍虎山」の解説の一部です。
「龍虎山と道教」を含む「龍虎山」の記事については、「龍虎山」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「龍虎山と道教」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「龍虎山と道教」の関連用語

1
8% |||||

龍虎山と道教のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



龍虎山と道教のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの龍虎山 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS